【デス・ストランディング】はいかに"繋がり"をゲームにしていたのか

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無事にアメリカ大陸を横断して帰ってきました。『デス・ストランディング』というゲームは発表当時からどんなゲームなのかイメージしづらく、正直プレイ前は不安もあったのですが、フタを開けてみれば開幕から一気に引き込まれて最後まで駆け抜けていました。しかし結末まで進めた今でも本作がどんなゲームだったのかを説明するのはなかなかムズかしい。ただ1つ言えるのは、当初のアナウンスどおり"繋がり"をテーマにしたゲームであったということ。

というわけで、今回はレビューではなく「『デス・ストランディング』がいかに"繋がり"をゲームにしていたのか」を書いていきます。

分断された世界を"繋ぐ"物語

まずストーリー。言うまでもなく"繋がり"をテーマにした話になっています。舞台となるアメリカ大陸では「デス・ストランディング現象」によって人やモノが分断された状態に陥っているのですが、このデス・ストランディング現象とは、ざっくり言うと「あの世」と「この世」が"繋がって"しまったがゆえに、人の死体が都市を巻き込む規模の対消滅を起こすようになったり、死んだ人がBTと呼ばれる悪霊になって生きた人をあの世に引きずり込もうとしたり、さらには浴びるだけで時間が一気に進んでしまう時雨(ときう)が降ってきたりでもう大変、そりゃ分断するわって現象です。

人間の死体が対消滅(ヴォイドアウト)を起こすため、おちおち死ねません。

分断された人々を再び繋ぎ直してアメリカを再建させるため、主人公・サム・"ポーター"・ブリッジズは東海岸から西海岸を目指して旅立ちます。アメリカ横断です。でも目的地はニューヨークではありません。方向が逆です。というかマンハッタンはストーリー開始前の時点で対消滅でなくなっています。なんてこった。

ともあれ、サムはその名の通りポーター(運び屋)として、荷物と一緒に「カイラル通信」と呼ばれる超スゴイ通信網を復活させるためのカギ「Qpid」を携えて旅立ちます。通信網を復活させることで人々を繋ぎ直し、アメリカを再建させようというのです。文字通り、点と点を繋いで線にしていく物語となっているわけです。

"繋がり"から距離をおく主人公・サム

しかし、サム自身はアメリカ再建にさほど興味がありません。それどころか人との繋がりを避けている人物でもあります。まるで繋がりに疲れてしまった現代人のようでもありますが彼の場合はもうちょい深刻で、身体を触れられるだけでアザができてしまう接触恐怖症(アフェンフォズムフォビア)を患っているため、握手すらも拒絶する始末。

接触恐怖症のサムの身体は手形だらけ。本作ではしばしば手形が繋がりの象徴として描かれる。

そんなサムがどうしてアメリカ横断の旅を決意するのか? というと、西海岸で孤立しているのが義姉のアメリだからです。極めて個人的な理由なのですがこれってつまり、繋がりを極端に避けているサムの動機が過去の繋がりって構図になっているんですよね。アメリカを再建して世界を未来へ繋ぐための最後のカギが個人的な過去との繋がり、というのはなんともおもしろいじゃないですか。

プレイヤーに"繋がり"を実感させるために

繋げることが目的になっているわけですから、ゲームは繋がっていない状態からスタートとなります。『デス・ストランディング』は流行りの"ゆるい繋がり"を感じられるゲームシステムが導入されており、他のプレイヤーの設置した看板や建設物がネットワークを通じて自分の世界にも現れるのですが、開始時点では"繋がっていない"ため、そういったものは現れません。なので、まずは目的地までたった1人で移動しなければなりません。プレイヤーに"繋がり"を実感させるために、対比としてまずは"繋がっていない世界"を体験させるわけです。

辛く険しい1人旅があるからこそ、より強く"繋がり"を実感できる。

繋がりを妨害するヤツら

繋がっていない状態での旅はなかなか過酷。いや、繋がった後でもしんどいのですけどもそれはともかく。本作のメインは依頼された荷物を運ぶだけ、とはいえその道のりは険しく遠いものです。なんせデス・ストランディング現象に見舞われて分断されている世界ですからね。

しかしそんな状況にあっても荷物を傷つけるわけにはいきません。荷物には耐久値が設定されており、転んで落とすとダメージを受けてしまいます。せっかく届けても中身がボロボロだと喜んでもらえません。当たり前です。それでも転ばないように歩くだけなら大したことはないのですけれども、問題はBTやミュール、そして時雨に山です。

目的地へのルートはプレイヤーが自由に決めていいのですが、大抵の場合、平坦なルートにはBTやミュールといった敵が配置されており、それを避けようとすると険しい山岳ルートを選ぶことになります。ちなみにミュールというのは自分たちがシステムを支えているという高揚感や使命感から配達そのものを目的化させちゃった配達依存症の人たちのことです。その設定はどうなの…、って思う人もいるかもしれませんが、周囲にいませんか? 手段が目的になっちゃってる人。BTという"見えない敵"と合わせて、"繋がり"を妨害してくる敵役としてなかなか皮肉がきいてるなーと思います。

いくら配達がしたいからって人の荷物を奪うために電磁スピアを投げるのはやりすぎである。

抑圧からの解放という名の登山

話を戻しましょう。敵地を通り抜けようとすれば戦いになることもあるし、戦いになればダメージを受けることもあります。ダメージを受ければ荷物をそこらじゅうにぶちまけることになるし、腹に抱えた赤ん坊も泣きだしてさあ大変。「ちくしょう泣きたいのはこっちだぜ」とかボヤきながらも赤ん坊をあやしつつ、ボロボロになった荷物をかき集めることになります。敵地を避けようとすると待ち構えているのは山です。ただでさえ重たい荷物を抱えているのだから登るのも下るのも大変だし、急斜面で転べば荷物共々真っ逆さまで目も当てられません。

何が辛いって赤ん坊に泣かれるのが1番辛い。だから敵地の真っ只中でも赤ん坊をあやすのが最優先。

さらにいうと、どちらの場合もキツいのが時雨。雨に濡れるだけで荷物も装備も耐久値がガリガリ削られていくからです。だいたいのルート上に雨雲が存在しているので避け切るのは無理です。敵地や山道で走るわけにもいかず、かといって慎重に歩いてもやっぱりダメージを受けてしまう。この"消耗"こそがプレイヤーの精神をゴリゴリ削っていくのが本作のしんどさでありましょう。なんなら歩くだけでブーツが消耗していくゲームですからね。合わない人はとことん合わないんじゃないかと。

荷物の耐久値とともにプレイヤーの精神をガリガリ削っていく時雨。辛いのはだいたいこいつのせい。

とはいえ、吹雪の山を1人で「なんでこんなしんどいことを」などと思いながら登っていると何時間も経っているような気がしてしまうのですが現実では20分も経っていなかったりするので、しんどいと感じさせる表現力の勝利なんだろうなーと思います。

ゲームを形作るのもまた"繋がり"

余談ですが、こうしたしんどい旅の峠を越えたときの演出が本当に素晴らしいんですよ。プレイヤーにとって1番嬉しい瞬間はゴールに着いた瞬間じゃないんですよ。山を越えて眼下に目的地が見えた瞬間なんです。しかも「よっしゃあとは下るだけ!」って場面でスッと歌が流れだすんですよ。泣いちゃうじゃないですか、ズルイよこんなの。なんにせよ、このへんが『デス・ストランディング』が"登山ゲー"だと言われる所以なのでしょう。

最高のタイミングで挿入される音楽の数々。過酷な登山で消耗した心に響きます。

ちなみに、本作には小島監督と繋がりのある人たちがいろんな形で登場していますが、1番よく流れる楽曲を提供しているLow Roarは監督が旅行先でCDショップに立ち寄った際、店内に流れていることがキッカケだそうで、そういう意味でもいろんな"繋がり"が作り上げたゲームであるのだとわかります。

世界に現出するサムズアップたち

さて、いよいよ目的地について通信網を回復させれば他プレイヤーの痕跡が世界に現れるようになります。誰かが設置したロープや梯子、誰かが建設した橋やポスト、それに乗り捨てられたトラック。そのどれもが誰かが同じ世界を旅している痕跡なのです。先に述べたとおり、どのルートを行くかはプレイヤーが自由に決められるゲームであるため、他のプレイヤーが設置した設備が必ずしも有用とは限らないのですが、「そこに誰かがいた」「他の人もしんどい旅をしていた」と感じられることに意義があるんですよ。もちろん、有用な場合は最高にありがたいですし、「いいね」を連打しながら使わせていただくわけですが。

どこか誰かが設置してくれた建設物たち。お世話になります。

皆の歩いたところが道になる

他プレイヤーの痕跡が見られるゲームシステムは今や珍しいものではないかもしれません。が、本作において特筆すべきは「あぜ道」でしょう。最初は草むらだった場所が何人ものプレイヤーが通るうちに地肌が見えてあぜ道になっていくのです。

各拠点の近くでは多くのプレイヤーが同じ方向に歩いていくためか、太くてしっかりしたあぜ道が形成され、進むにしたがってだんだん細くなったり分かれていたったりしてやがて消えてしまう。それでも何人ものプレイヤーが通った最大公約数であれば安定ルートであると予想できるし、何より「そこを誰かが通った」という安心感があります。ゆるいけれども確かに繋がっているという感覚はなかなか独特なんじゃないかと。

誰かの通った場所が道になっていく。人と人とを繋げる道を作るのもまた人の繋がりなのだ。

人から人へと繋がっていく荷物たち

シェアボックスというシステムもあります。これは各所の配送端末に備えられている機能の1つで、荷物や装備を他のプレイヤーとシェアすることができる箱です。シェアボックスに入れてしまうと自分では引き出せなくなるので共有というより提供でしょうか。手に入れたけど使わない装備とか拾ったけど届け先に行く予定がない荷物とかがどんどん放り込まれていきます。

装備はともかく荷物なんて誰が持っていくの?と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。他の依頼のついでに持っていくとか配送が終わった帰り道の有効活用とか、そんな目的で持っていくのです。こうして荷物を"繋ぐ"リレー形式の配送が実現しているわけです。

オンラインで荷物をリレーするシェアボックス。落とし物の山は「いいね」の山である。

繋げたら終わり…じゃない!

依頼された荷物を届けたら配送先の端末のシェアボックスを覗いて帰りに持っていけそうな荷物を物色し、帰ったらまた配送端末から依頼とシェアボックスを漁る…、なんてことをしていたら無限ループに陥ってストーリーが止まったりします。国道を繋げてしまった日には登山家からトラックの運転手にクラスチェンジです。配送を繰り返すことで客や配送所のNPCたちとの親密度が上がり、新しいガジェットや素材を貰えたりするわけです。

国道が開通すれば配送は格段に楽になるため、トラックの運転手に転職したサムも大勢いるはず。

とはいえ、せっかく作った国道や建設物は時間の経過とともに劣化していくため、配送ルートを維持するためにちょくちょく素材を投入する必要が出てきます。NPCとの親密度もそうですが、ただ繋げるだけではなく、"繋がりを維持する"こともゲームになっているわけですね。といってもこれは単にリプレイ性の確保とオンラインの新陳代謝ってだけかもしれませんけど。

繋がりを維持する大切さを教えてくれるエルダー爺さん。よくある老人の自虐ジョークかと思いきや…。

「いいね」の連鎖

ともあれ、配送を繰り返すことで「いいね」が増えていくのが心地よいんですよ。配送中にも誰かが自分の設置した設備を使ったり復旧させた国道を通ったりすれば「いいね」が入ってきますし、高速で送り届ければNPCからも褒められてモテまくり稼ぎまくりです。

とはいえ、「いいね」が入れば何かいいことあるの?と言われたら別になかったりします。でもいいんですよ。なんか嬉しいんですから。「いいね」を稼ぐことにメリットがないからこそ、「いいね」のためにダークサイドに堕ちるプレイヤーも出てきません。Don't Be Evil.です。それでも「いいね」が入ると嬉しいし、さらなる「いいね」を求めてしまうのは人の性でしょうか。なんにせよ、貰っても嬉しいし贈っても気分のいい「いいね」の連鎖="繋がり"がサムたちの原動力の1つであることは間違いありません。

建設するのはあくまで自分のため。でも「いいね」が入るとやっぱり嬉しい。

Tomorrow Is In Your Hands

「いいね」の心地よさに酔いしれるあまり、それが目的化してミュールのようになってしまったサムもいるのかもしれませんが、それでも旅を続けていけば終わりはやってきます。特に終盤の展開は圧巻。ネタバレはしたくないので詳しくは書きませんが、今まで"自分が繋げてきたもの"と"自分と繋がってくれた人"によって体験は大きく変わることでしょう。こればっかりは自分でプレイしないと感じられない部分でしょうし、まさにゲームだからこそできる表現であると感じさせられました。すごいぜ。ストーリーの結末もすんごくいいんですけれども、ここでは書きません。ぜひとも自分の手で、"未来"を繋いでいただきたい。

終盤の展開が心に響くのはそれまでのプレイがあってこそ。

だいたい繋がっている…はず

さて、長々と書いてきましたが最後に『デス・ストランディング』がいかに"繋がり"をゲームにしていたのかを振り返っておきましょう。まず、分断されたアメリカ大陸を繋ぎ直すストーリーであり、主人公・サムの動機も義姉・アメリとの繋がりであること。プレイヤーがやるべきことは人々に荷物を届け、各地の通信を回復させて人々を繋ぎ直していくこと。繋がっていない世界を体験することで繋がった後に他プレイヤーの痕跡が現れるとより強く繋がりを実感できること。他プレイヤーとの繋がりは間接的だが「いいね」を通じて連鎖的に繋がっていくということ。そして最後には"未来"へ繋がっていくということであります。願わくば、この記事が新たなサムの誕生に繋げられるといいなぁ。

 

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