映画『ブリグズビー・ベア』感想 大切なことはすべてクマから教わったジェームスが教えてくれる

みなさんは子供の頃から大好きでめちゃくちゃオススメしたくなる作品ってありますか? ボクの場合は…なんだろう、「ドラえもん」になるでしょうか。ありがたいことに「ドラえもん」は原作者がいなくなってしまった後も新作が作られ続けています。しかし、大好きな作品の続きがある日突然作られなくなってしまったら? 毎週楽しみにしていた作品の続きが永遠に見られなくなってしまうとしたら? だったら自分で続きを作ってしまおう!というのがこの『ブリグズビー・ベア』の物語です。

※以下、若干のネタバレを含みます。予告の動画を見て気になったら以下は読まずに劇場へGO!しましょう。本作は「映画を作る映画」であり、何かしらの創作に携わる人なら”刺さる”物語である、とだけ言っておきましょう。あとマーク・ハミルのキャスティングが絶妙。

ないのなら作ってしまえその続編

予告の動画を見ればわかるとおり、主人公・ジェームスの生い立ちは極めて特殊です。赤ん坊の頃に誘拐され、誘拐犯を両親だと信じて疑わず、社会とは切り離された閉鎖された環境で育ったわけですからね。25年間の監禁生活における彼の楽しみは教育番組「ブリグズビー・ベア」のビデオテープのみ。そんなふうに書くとなんだか質の悪い洗脳みたいに思われるかもしれませんが、後々「ブリグズビー・ベア」を観た他の多くの人たちがこのクマを気に入るように、ガチでおもしろい作品だったのでしょう。ジェームスがドハマりしていたとしても、それは何ら不思議なことではありません。なんにせよ、特殊すぎる生い立ちですが、それはストーリーのメインというわけではなく、土台となる設定でしかありません。

特殊な生い立ちを経てピュアなハートを持ったまま大人と呼べる年齢にまで育ったジェームスが「ブリグズビー・ベア」の映画を撮ろうとするのがストーリーの中軸です。彼はビデオシリーズの「ブリグズビー・ベア」の続きであり、完結編でもある作品を劇場用映画として作ろうとするのです。つまり本作は、映画を作る映画、ってことですね。何かの創作に感銘を受けたら、その熱で自分も何かを作り出す。本作でメインとして描かれているのは、そういった創作のサイクルなのです。

あのオタクムーブはアメリカでも同じだった

ジェームスは純粋であるが故にひたむきで、だからこそ周りの人々を次々に巻き込んでいきます。個人的に気に入っているのが親友となるスペンス君ですね。彼を引き込んでいくジェームスのやり口が実にパーフェクトなオタクムーブだったので、なんというか見ていてムズムズしてしまったといいますか。というのも、最初に出会った時に自分の好きな作品についてアツく語り、食いついてきたと思ったら即座にビデオテープ(しかもエピソード厳選済み)を貸してくる。ああ、なんか身に覚えがあるわ…って人も多いんじゃないでしょうか。ボクはもっぱら押し付けられる側でしたが…。ともあれ、こうやって広めていこうとする熱意って大事ですよね。にしても、「明日から撮影しようぜ」となってくれるスペンス君、実行力ありすぎて眩しい…。

大人というフタで閉じ込められた”好き”

それから刑事のヴォーゲルさん。ジェームスが彼を巻き込んでいく流れは非常に刺さります。かつては演劇をやっていた彼に対し、ジェームスが「どうしてやめちゃったの?大好きだったのに」と言っちゃうんですよね。刑事さんは「大人になったからだ」と答えるものの、これが答えになっていないことは大人であればこそ、よくわかるところでもあります。でもこのやりとりから、ものすごく協力的になってくれるのがすごくいい。映画への出演の依頼を断らないどころか、誰よりも熱演してくれちゃうし。ボクも一応は”大人”の側なので、こういう刺さるんですよ、本当に。

受け手はかくあるべし

本作は創作を題材にした映画ですが、作り手側だけでなく受け手側に対するメッセージも込められています。ジェームスがずっと見てきた「ブリグズビー・ベア」のビデオシリーズを作ったのは彼を誘拐して父親を演じていたテッドでした。だから、実の父親はこの作品をひどく嫌悪します。そりゃそうですよね、息子を25年間も奪った犯罪者の作ったものですし。しかしジェームスはそうではありません。彼は純粋に「ブリグズビー・ベア」を愛している。だから、テッドと再会するシーンで彼が訊いているのは純粋に作品についての質問です。テッドは犯罪者かもしれないけれど作品は作品。たとえ作り手がどんなやつであろうとも、作られたモノに罪はない。そういうことなのでしょう。関係ないけどこのシーンのマーク・ハミル、すごくいいですよね…。

“好き”の強さと比例する重圧こそラスボス

こうして周囲の人々を熱意と情熱で巻き込みまくりながら邁進していくジェームスでしたが、最後の最後、映画が公開される段になって一気に小さくなってしまいます。ここも非常にキますね。自分の大好きなものに愛情を注ぎまくって作ったものが他の人に受け入れてもらえるかどうか、というのは好きって気持ちが強ければ強いほど不安にもなるものです。あれほどひたむきだったジェームスがプレッシャーに押し潰されている様子には胸が締め付けられます。その後の展開も含め、最高のクライマックスとラストですよね…。

すべての作り手と創作を愛する人々へ

そんなわけで『ブリグズビー・ベア』は映画の制作を通じて、創作そのものを描いた映画だったと思います。創作における楽しさも苦しさも全部内包されている。だからこそ、何かを作ったり公開したりしている人には刺さるものがあるんじゃないかと思うわけです。ジェームスのやっていたことってある意味二次創作なので、そういった活動をしている人にもいいかもしれません。ボクは創作する側の人間ではありませんが、好きなものを紹介したりオススメしたりしているわけで、そういう意味ではジェームスの推しを語る姿に魅せられたところはあるのかも。いずれにせよ、創作に対するとてもポジティブなメッセージが込められた映画なので、何かを作り出すエネルギーをもらえるかもしれません。

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