【ゼロ・グラビティ】見てきたので感想とか (※ネタバレあり)

予告を一目見たときから気になっていた『ゼロ・グラビティ』、見てきました。
宇宙の映像のすごさ、終始極限状態で息をのむどころか息が詰まる緊迫感。
そして、たった2人の登場人物で魅せるシンプルなテーマに大満足。

映画『ゼロ・グラビティ』オフィシャルサイト

パシフィック・リム』を見に行ったとき、流れてきた予告映像で特に目を惹いたのが、この『ゼロ・グラビティ』。そういえば、BD版の『パシフィック・リム』でも本作の予告映像が入ってましたね。

宇宙から見た美しい眺めと、そこで危険な状況におかれている宇宙飛行士たちのコントラストが強く印象に残っていました。

子供のころから宇宙やらロケットやらスペースシャトルやらが大好きだったボクにとって、美しい宇宙の映像はそれだけでご褒美に他なりません。といっても、のんびり景色を眺めているような映画ではないのですけど。

映像と音響による宇宙の感覚と、90分間という短い時間に詰め込まれたシンプルなストーリーが本作の魅力でしょう。

※以下、感想はネタバレありなので注意。

映像と音響が魅せる宇宙空間

大音響からの静寂で始まる開幕演出。
空気がないから音もない。
そんな宇宙空間の演出に、一気に引き込まれた人も多いんじゃないでしょうか。

本作は音がすばらしいというか、音のない状態の使い方が絶妙というか。
無音の静寂が劇場を宇宙に連れて行ってくれます。
なので、この映画を見る場合、ポップコーンは我慢した方がいいかもしれませんね。

映像の面でももちろん宇宙の描写はすばらしいものでした。
宇宙からみた地球も青いだけではありません。
夜の灯や朝日のまぶしさなど、余すことなく描かれています。
いまやネットを漁れば宇宙からの映像なんていくらでも転がってはいますが、スクリーンの大画面で楽しめる機会はそうそうないですから、ぜひ上映期間中に劇場へ行きましょう。

本作ではいろいろと破壊されますが、破壊シーンの美しさもすばらしい。
引退済みのシャトルはともかく、まさか現役のISS(国際宇宙ステーション)を派手にぶっ壊すとは予想外でしたが…。

この宇宙の描写については、しばらくの間、この『ゼロ・グラビティ』がNo.1の座に居続けるのではないでしょうか。

映画『ゼロ・グラビティ』予告1【HD】 2013年12月13日公開 – YouTube

とはいえ、現実と突き合わせて考察するならば、ツッコミどころが多いのも事実。

自動車の玉突き事故のように人工衛星の衝突が連鎖することはまずないでしょうし、破片の固まりが地球を1周してまた同じ場所へピンポイントにやってくるのも無茶ですし、マットさんも死ぬ必要はなかったでしょう。

しかし、映画に必要なのはリアルではなくリアリティ、つまり、それっぽさ、それらしさです。
現実とは違うかもしれませんが、ドラマを構成する上ではどれも必要なパーツです。
無粋なツッコミはなしにして、ヒューマンドラマを楽しみましょう。

シンプルな構成でガツンとくるテーマ

映画というのは大抵、何かトラブルがあり、解決のために奔走していたらさらに別のトラブルがあったりして、大ピンチに陥ったりするけど、何かしらの逆転要素がクライマックスを盛り上げ、トラブルが解決してエンディングという流れなわけです。

本作も概ねそういう王道に則ったストーリーになっています。
宇宙空間という極限状況で、次から次へと発生するトラブルの中、それでも生き延びるために何とかしようという流れです。とはいえ、場所が場所だけに絶望感がハンパじゃない。
そしてたった2人しかいない登場人物が孤独感を高めます。

そんな絶望的な状況の中で描かれているのは、それとは反対の「生」について。

主人公のライアン博士は、ある時点までは「死にたくない」という行動原理で動いているようにも見えます。というか、手を引いてくれる人がいたり、状況に後押しされたりしているだけで、自分からは動いていないといっていいかも。

地上との通信も途絶し、宇宙空間で孤独な状態にあるのですが、実は娘を失って独り身であり、精神的にも孤独だったのです。大事なものはすでに喪失済みで失うもののない彼女は、生きることに対してやや後ろ向きで、死にたくないから「生」にしがみついてはいるものの、生きることに積極的ではないというか。

ちなみに、ちょっとしたスピンオフの動画があります。

この動画では、本作で最大のピンチともいえるソユーズでのシーンの裏側が描かれています。
極寒の地でも幸せそうな人々と生の象徴である赤ん坊が、生きることを諦めてしまったライアンとは残酷なまでに対照的。
Aningaaq (HD) – YouTube

ライアンに転機が訪れるのは、本当に死の淵まで追い込まれたとき。
ソユーズの中で座して死を待つのか、行動を起こすのか。
その選択を迫られたとき、「死にたくない」から「生きたい」に変わるのです。
この瞬間こそが本作の「転」であり、クライマックス。

消火器をもってソユーズを飛び出し、”神様のいうとおり”にボタンを押すライアンは、がむしゃらに生きようとする姿そのもの。
落下する宇宙船の中で「I am ready…!」とつぶやく彼女に迷いはありません。
このへんは見ていて本当にグッと力が入ってしまいました。

なりふり構わず必死に生きようとした彼女はついに重力のもとへと生還。
実は、本作の原題は『Gravity』であり、邦題とは真逆なのですよね。
映画を最後までみた人ならば、なるほどGravity、と納得されるはず。

人間どうせいつかは死ぬんだから、やることやってやろうぜ、一歩踏み出してみようぜ、っていう前向きに生きることへの勇気を与えてくれる映画なんじゃないかなーと。

あと最後に、すごくどうでもいいこと。
最初の事故でライアンが遠くに飛ばれれるシーン。
どんどん小さくなっていくところで「FF8」のアレを思い浮かべたのはボクだけでしょうか。
ちなみにあのシーンは初見でゲームオーバーになりました。
あんなのわかるわけがない、わかるかあんなもん!
あ、どうでもいいですね。すみません。