【書籍】『ゾンビの科学 よみがえりとマインドコントロールの探究』

ゾンビを題材にした映画やゲームはあまりに多く、彼らが登場するたびに「またゾンビか」と思ってしまうほどの昨今。ついに日常系アニメにまで進出したゾンビたちですが、この勢いでそろそろ現実の世界にやってきてもおかしくない頃合でしょう。さて、ゾンビたちがボクたちの世界へやってきたら、どうなってしまうのか? そもそも、ゾンビたちをこの世界に招き入れるためにはどうすればよいのか?

本書『ゾンビの科学』の原題は『How to make a Zombie – The real life (and Death) science of reanimation and mind control』で、直訳すれば「ゾンビの作り方」です。ゾンビを作るなら、墓場から死体を掘り返して黒魔術をかけたり、マッドサイエンティストの開発した怪しいウィルスをまき散らしたり、といった方法になりそうですが、本書はあくまで科学の視点から語られる科学の本です。ゾンビという、一見すると非科学的なテーマから、生死の意味や倫理観、自己という存在など、「人間とは何か」という科学の目指す根本的な問題へと足を踏み入れる…そんな1冊になっています。

“現実の”ゾンビを科学する

本書の内容は、フィクションにおけるゾンビに科学のメスを入れるというよりは、現実の世界におけるゾンビ的な事象の科学的な探究です。なので、ここで題材となるゾンビは、皮膚がボロボロに剥がれ落ち、うめき声をあげながら夜な夜な徘徊し、人を襲っては感染を拡大させていく、我々のよく知るモンスターのことではありません。しかし、現実のゾンビは、もっと不気味でおぞましい面をもっています。彼らを相手にするには、ショットガンやパイプ爆弾を準備するのではなく、科学に基づいた知識という武器が必要になることでしょう。

サイエンスライターによって書かれた紛れのない科学の本ですが、最新の科学の話ばかりというわけではありません。むしろ、過去の話が多い印象ですね。ゾンビのルーツを探るところからはじまり、死者を甦らせようとする研究や他者を自在に操ろうとする研究など、ゾンビを作るために必要となりそうな研究を辿りながら、科学の歩みをみていくことになります。医学から薬学、生物学に心理学まで多岐に渡りますが、どの分野においても、何の役にも立たなさそうだったり、無残な失敗に終わったりする研究が、後々の技術や発見に繋がってくるところなどは、まさに科学といえましょう。

ゾンビの作り方

筆者は、まずゾンビを作るために、ゾンビのルーツを探るところからはじめます。ジョージ・A・ロメロの映画でもなく『恐怖城』でもなく、”現実の”ゾンビは19世紀末のカリブのサトウキビ畑からスタートします。ブードゥーの黒魔術師によって甦らされた死体が畑で黙々と働かされていたことが西欧に伝わったことから、ゾンビの伝説ははじまったのです。現実のゾンビは奴隷として使役されていたわけですが、黒魔術師の使ったゾンビパウダーに含まれる成分では、人間を”ゾンビ化”させるには不十分だったとの説もあり、そこには恐怖や信仰心によるプラシーボ(どちらかといえばノーシーボ?)効果もあったのかもしれません。ゾンビみたいに働いてる人なら自分も周りにもいるって?

いずれにしても、ゾンビを作るには、死者を甦らせる技術と、彼らを自在に操るマインドコントロールの技術、そして感染を拡大させる技術が必要になります。肉体と精神の両面から掌握したのち、大量生産に移る算段ですね。しかし、死者を甦らせる研究はいまだに成果を上げていませんし、心や脳の研究でも、他者を自在に操るような技術は得られていません。薬物を使ったり脳に電極を埋め込んだりといった手法はあっても、集団を自在に操ろうとするのは難易度がエクストリームになってしまうからです。なのに、感染の分野のみ、人間以外の手によって進歩が続いています。

恐ろしいことに、この世界では、自分が生きるために他者を乗っ取り、操り、殺してしまうような寄生生物が多く存在しているのです。他者に卵を産みつけて子供のエサにしてしまうハチや、水場に帰るために宿主のコオロギを身投げさせてしまうハリガネムシなど、人間のゾンビよりも数段おぞましくて残酷。といっても、彼らは人間と無縁というわけではありません。ネコを終宿主とする微生物トキソプラズマなどは人間にも寄生する上に、感染した場合、行動や性格に影響が出ているのかもしれない、という研究結果も報告されているほどですからね。自分の意思だと思っていることでさえ、実は極小の生物の仕業なのかもしれないとなれば、自己を確認するにはどうしればいいのやら。

結局、ゾンビを作るのはムズかしそうだという話になってしまうのですが、ゾンビを作れたとしたら、そのゾンビでいったい何ができるのか?というところまで話は進められています。死んだ目で黙々と働き続ける奴隷ゾンビでもかまいませんが、もっと利益を上げようとするならば、臓器や血液を有した人体資源のキャリアーとなるかもしれません。かつては輸血ですら提供者を隣に座らせて直接的にやっていたのですが、いまやiPS細胞が開発された時代ですから、臓器のためにゾンビを育てることはないかもしれませんが、もしそうなれば、次に考えなくてはならないのはゾンビの反乱となるでしょう。…結局ショットガンとパイプ爆弾なの?

生ける屍に死を学ぶ

かつては死の診断基準が甘かったため、死者が蘇る事例もあったわけですが、より精巧な判定が下せる現代においては、死者の復活はまずありえません。しかし、発展した科学と医学により、生と死の境界線はより曖昧になっている面もあるのです。生ける屍であるゾンビとボクたち人間とを隔てる境界線は、どこにあると考えればよいのか? 筆者は次のように語っています。

科学にこだわると、死は超えるべき一本の境界線ではなく、限界の問題になる。

細胞が死ぬよりも速いペースで新しい細胞に置き換えられていくことを生きているとみなすなら、脳と身体とがどれだけの損傷に耐えられるのかが問題になる、というわけです。なんだか哲学ゾンビになってしまいそうな感じですが、科学の視点からみても、死が曖昧な理念であることの裏付けといえるのかもしれません。

ゾンビを題材とした映画やゲームでも、アンデッドである彼らを通して生と死について考えさせられる物語は多くあります。人の形をした人ならざる者として、散弾の的という役割ももちろん大事でしょうけれども、その引き金を引く前に、ボクらと彼らを隔てる境界線について考えてみるのもよいのではないでしょうか。そのとき、考えを巡らせるための材料として、本書が与えてくれる科学的な知識は、大いに役立つに違いありません。そんなことをしている間に、首筋に噛みつかれて境界線ごと破壊されてしまうかもしれませんが。

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