「科学と非科学の見分け方」ではなく、「科学に見せかけたごまかしを見抜く心得」。そんな知恵と方法が書かれた本のご紹介。
日常に潜む、科学のようで科学ではないもの。 情報があふれかえる現代だからこそ、情報を受け止める側=私たち自身にも上手に受け止めるための方法が必要になります。 実例をあげながら、情報との向き合い方を説明してくれています。
律儀に真面目に疑う
何が正しくて何が間違っているのかを判断するためには、当然、知識が必要になってきます。でも、どんな分野でも正しく判断できるような知識は膨大で、頭の中に収められるもんじゃありません。 筆者は、そんな知識を持つことを薦めているわけではありません。
正しいのか間違っているのかを「疑うこと」こそが重要です。 そして、その疑いから、的確な判断を下すに至るポイントは何か、ということが書き綴られています。本書のメインは科学分野ですが、統計データの読み方や文脈や背景に対する理解など、科学以外の分野にも応用できそうな知識が含まれていると思いました。
よくある科学への思い込み
そもそも「科学」とはなんでしょうか。 「科学」に対するイメージは、実際の科学とは違っていることが多いみたいです。
誰々という科学者が何々という発見をした、というのは教科書でよく目にしたかもしれません。 でも、別に科学者は一匹狼ではありません。大学や施設の研究室で何人もかかって研究はおこなわれているものです。 学説というのはそういった組織の中で、何人もの実験や議論を経た上で出てきます。
しかし、そうしてできた論文が科学雑誌に掲載されたといっても、それは論文の内容が正しいと判断できるものでもありません。 論文が科学雑誌に掲載されるってことは、他の科学者たちの検証、追試験がおこなわれ、内容の真意を確認するためのスタートラインに立った、ということなのです。何々という科学雑誌に掲載された~と聞くと、なんだかすごい発見がでてきた!って気になってしまうけど、 真意が立証されるのは、ここから他の科学者たちが確認した後のことなのですね。
さらにいうと、掲載された論文が物議をかもし、論争になったからといって、ただちに論文の内容が誤りであるともいえません。 ツッコミどころのある論文なんて…と思うかもしれないが、ツッコミをいれられて、さらに実験を重ね、より確実に立証していくことが科学なのです。 いろんな分野の専門家たちがいろんな分野の視点から切り込んでくるので、より確実な内容になっていくというわけです。
となると、どこにも論文が掲載されていないような見解は特に怪しい。ろくに検証されていないわけですから。 また、論文が掲載されたといっても、誰からも相手にされていない見解も怪しい。 他の科学者から相手にする価値を見出されていないからです。 世紀の大発見って最初は誰にも相手にされないもんじゃないの?と思うかもしれないけど、現実はそんなに甘くないらしい。
科学問題は2択クイズじゃない
正しいのか間違っているのか、白か黒かというように、シンプルな正解が用意されているわけではありません。
意思決定の際、大事なのはリスクとメリットを把握しておくことです。 また、リスクとメリットを考える場合、1つのテーマだけでなく、多方面からできるだけ多くの要素をあげてみることが大事です。 経済面、健康面、環境面、倫理面など、さまざまな方面から整理し、トレードオフの関係を整理していくわけですね。
こうして多くの要素を並べていけばいくほど、大抵の事柄は単純に白か黒かをつけられるものではないとわかります。 であるのに、執拗に「どちらか」を迫ってくる情報は怪しいということになります。 ある事柄に対する賛成派も反対派も、自分に都合のよい情報を声高らかに訴えている以上、どちらが正しいかではなく、 情報を整理し、的確な判断をしなければなりません。
情報や考えを整理するとき、どうしてもシンプルに単純化したくなるものですが、その単純化が判断を歪めてしまう原因にもなりうる、ということですね。
数字のトリック
科学に見せかけたまやかしは、説得力を増すために数字が利用されることも多くあります。なので、統計数字の価値についても考えておかなければなりません。
たとえば、手術を受けるのに病院Aと病院Bのどちらにするかを考えるとします。手術後の生存率を調べてみると、病院Aの方が低い。 なら、病院Bで受けようと思うかもしれないけど、実はこれだけではなんともいえません。 相関関係と因果関係は同じではないからです。
病院Aは病院Bよりも重症の患者を扱っているのだとしたら?
高齢者を専門に扱っているのだとしたら?
予定手術よりも緊急手術を多く扱っているのだとしたら?
統計データにはこうした背後に隠れている要因もあるわけです。 もちろん、統計データにもとづいて意見を述べる人が合わせてチェックしてくれるのが理想ではあるけど、なかなかそうもいかない場合が多いため、統計データを見たら、ちょっと裏にある要素も考えた方がよさそうです。
統計についての勘違いと「ギャンブラーの錯誤」
コイン投げで偶然、裏が5回連続ででたからといって、特別な理由があるわけではありません。 裏が3回連続したら、そろそろ表がくるんじゃないかと思ってしまいます。 でも、次にコインを投げたとき、表も裏も、どちらが出る確率は50%であることに変わりはありません。 裏裏裏裏裏となる確率と、裏表表裏表となる確率は同じ。 でも、裏が5回も連続で出たら、どうしてもそこに何かがあるんじゃないかと思ってしまいます。
このパターン認識に傾きがちな性質は、「傾向」を取り上げたがるメディアのそこかしこで見かけます。 犯罪も事故も「大発生」は、何らかの傾向があるというだけで大きく報道されます。 そうすると、普段気にもかけない出来事を意識してしまうようになり、傾向への関心に拍車がかかってしまう。 しかしながら、こういったことはごく普通に生じるデータの変動にすぎません。
疑うことを忘れずに
こうして、さまざまな事例をあげ、正しく判断するためのポイントについて書かれていますが、あくまでも出発点になるのは、「疑うこと」になると思います。まずは疑わなくては考えることはありません。「すべてを疑え」なんていうと格好いいですが、実際のところ、すごく面倒くさいことです。しかし、ネットやソーシャルメディアで誰もが発言力を有する時代だからこそ、間違った情報に振り回されないための心構えは必要なんじゃないか、と思う次第です。
飛鳥新社
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