1983年に発売されたファミリーコンピュータ、通称「ファミコン」から30年。ゲーム史に燦然と輝くタイトルたちは懐かしくもあり、再発見の宝庫でもありました。
金曜日。いまにも降り出しそうな厚い雲の下、『超ファミコン』を手に帰宅。なんだかとっても分厚い本だけど、読むのに疲れたら目の前の3DSを開いて、今週発売されたばかりの『新・世界樹の迷宮』の続きをプレイすればいい。コンビニでポテチと今シーズン最初の青いスコールを買って準備は万端。
うん、すばらしい週末のはじまりだ。
300ページ超の分厚さにギッシリ詰め込まれたファミコン愛
最初にこの本を手にして驚くのがその分厚さ。ページ数だけでなく、100本以上のファミコンソフトを300ページ以上に渡って紹介していくコンテンツの厚さも相当のもの。
帯には「ゲームはいまだにファミコンを超えてはいない!!」とアグレッシブな見出しが書かれているけど、別に懐古主義ってわけでもありません。まえがきにあるとおり、ファミコンが世界でもっともたくさん売れたゲーム機であり、日常を大きく変化させた点では、他の追随を許さないほどの功績を上げていることにあります。
100本以上のファミコンタイトルがずらりと並ぶ目次は、見ているだけでもワクワクせざるをえません。
ファミコン世代であれば、1本も知らないなんてことはまずないでしょう。ここに書かれたすべてのタイトルについて、2~5ページくらいを使って紹介されています。
そして、特別企画として、以下の4つの記事が収録されています。
・究極のファミコンムービーGAMEKING 高橋名人VS毛利名人
27年目の真実 渡辺浩弐ロングインタビュー
・『マイティボンジャック』『つっぱり大相撲』を創った男
・天才クリエイター飯野賢治、そのファミコンの時代
・ファミコンハンター、中野へ行く
インタビュー記事が2つ、コラムと座談会という感じ。どの企画も目を引くものばかりだし、目次でも大き目のフォントで目立っているし、まずは特別企画の記事から読みすすめることにしました。
中でも、一際目を引いたのが高橋名人VS毛利名人の映画「GAMEKING」の裏側にあった27年目の真実。
ゲームの名人が挑んだ大人の本気
高橋名人や毛利名人といえば、ファミコン世代の人間なら知らぬものはいないでしょう。GAMEKINGといえば、16連射でスイカを割ったり指でバイクを止めたりしていたアレです。このGAMEKINGに企画段階から関わった渡辺浩弐氏に舞台裏を聞こうという企画なのです。
いまだから明かせる事実が次々と語られています。ファミコンブームに沸いていた当時の空気とともに、「名人」というポジションに置かれた2人の本気が伝わってくる内容でした。
魅せる試合を目指す高橋名人とあくまで勝ちにこだわる毛利名人の図式は、いまだとウメハラとときどみたいな立ち位置っぽいかも、と思いつつ、ゲームに対する真剣な態度は、この時代からすでにあったのだなと思い知らされます。
『スターソルジャー』にキャラバンといえば、あのころの夏の暑さが鮮明に蘇る人も多いのではないでしょうか。大人になったいまだからこそ、あのアツさの理由が、まぎれもなく大人の本気にあったことが理解できると思います。
100本以上のソフトから体感できる当時の空気
特別企画を読み終えたら再び目次へ。100本以上のファミコンタイトルが並んでいるので、どれから読もうか迷ってしまいます。知っているタイトルから読もうかと思ったけれども、ほとんどが知っているタイトルなのでまったく意味もなく。結局前から順番に読みことにしました。
目次にずらりと並ぶファミコンタイトルを眺めているだけで、当時ファミコンショップで目を輝かせていた時代の気分になれます。しかし、これだけの分厚さをもってしても「あのタイトルがない!」ってことがあるかもしれません。でも、すべてのタイトルを網羅しようとすると、10倍くらい分厚くなってしまって、本が長方体から立方体になりかねません。
選りすぐられたファミコンタイトルたちは、誰もが知る名作から、陽の目を浴びることのなかった傑作、どちらかというと迷作と呼ばれそうなものまで、実にさまざまです。どこかしら「尖った」ところがあるタイトルが選出されている感じですが、やはりライターさんの思い入れの強さが伺えるものばかり。
ゲームの内容はゆるくおもしろおかしく紹介されていて、まるで当時のゲーム雑誌でも読んでいる感覚になれます。単に紹介に止まらず、ゲームをやった人なら思わずうなずいてしまうような「あるある」な思い出話まで書き連ねられています。
『キン肉マン マッスルタッグマッチ』の記事を読めば、当時みんなで集まって対戦したことを思い出が蘇ってきます。そうそう、ブロッケンJrをいかに早く選ぶか、ってゲームだったなぁと。
ゲームに対する愛情が伝わってくるタイトルもあれば、愛情が裏返って憎しみになっているようなものまで。いや、大人になったいまだから許せる、ってところも感じますけど、あ、これ許してないな、ってものもちらほら。ミシシッピーとか。
ゆるく内容を紹介するだけでなく、このゲームのこの部分は革新的だったのではないか、とか、この時代にしてすでにこういうことをやっていたんだ、とか、鋭い視点もちょくちょく登場します。バブル時代の中のブームにあって、ソフトを出せば売れる、みたいな時勢の中、クソゲーが乱発されたのも確かに事実ですが、名作として時代を築いたタイトルには開発者の本気があったのだと、そしてその本気は時代をも超越したのだと感じさせられます。
ゲームのタイトルは発売日順に並んでいるので、前から順番に読んでいくと、ファミコンブームに火がついて社会現象を巻き起こし、後継機のスーパーファミコンの発売後は落ち着いていく流れを追うことができます。なので、前から順に読みすすめて正解だったと思いつつ、どこまで読んでも終わらないところにファミコンの歴史の深さを思い知ります。
『マリオブラザーズ』や『ゼビウス』にはじまり、『ドラクエ3』や『ロックマン』の全盛期、そして『メタルマックス』や『星のカービィ』の円熟期。本書最後の『高橋名人の冒険島Ⅳ』が発売された半年後には、プレステやサターンが登場することになります。流れを通してブームの盛り上がりを体感できるからこそ、最後には切なささえ感じてしまうわけです。
キリがないほどの多くのゲーム紹介から感じ取れるのは、当時の空気に他なりません。自転車をこいでゲーム屋へ走り、ソフトの並んだ棚をキラキラとした目で眺め、カセットを挿し直してはぼうけんのしょが消え、対戦ゲームで騒いではリアルファイトなどなど…、いやがおうにもあのころを思い起こさせます。
懐古だけじゃない そこにあるのは再発見
ゲームというものが自分にとっても世界にとっても新しく、そのすべてが輝いてみえていたあの時代。もちろん、現代のゲームを否定する気は微塵もありません。子どもの感受性であったからこそ、大人になったいまとは比べ物にならないほど輝いて見えていたわけです。
『超ファミコン』が伝えてくれるのは、まぶしく輝く思い出と、当時の空気感。そして、大人になったいまだからこそ見えてくるファミコンの偉大さです。ファミコンハンターたちが本書で綴っているのは、決して懐古だけではありません。「あのころはよかった」ではなく、「いま遊んでもおもしろいよ」です。さらに「いま遊べばまた違った発見があるよ」ということです。
とはいえ、本書を読むだけでは、懐かしい思い出にひたるだけで終わってしまいかねません。新しい再発見のために、押入れの奥に眠るファミコンを引っ張りだしてみましょう。なければバーチャルコンソールでもかまいません。大人になったいまだからこそ見えてくる新しい発見が、そこにはきっとあるはずです。
窓の外は白んできた青空。すっかりぬるくなってしまったスコールを飲み干したボクは、さっそく押入れからファミコンを取り出します。カセットを詰め込んでいるダンボール箱から適当に1本を取り出すと…『ミシシッピー殺人事件』。
やらねーから!!