『「ゲームをするのが面倒くさい」について考えてみる』について思ったこと

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4gamerにあった記事について思ったこと。なんだか共感する声が多いように見えたのですが、シバ山的にはちょっと違うんじゃないかなーと。

4Gamer.net ― 【島国大和】「ゲームをするのが面倒くさい」について考えてみる

この記事。

「ゲームするのが面倒くさい」ということについて、理由をいろいろ考えてくれています。ここで「面倒くさい」とはどういうことか、3つのポイントをあげて説明してくれています。

・拘束時間が長い
・やる事が多い,ゴールが遠い
・創意工夫の余地がなく,やる事が決まりきっている

確かに、共感できることもあるのですが… 結局のところ、どの理由も「面倒くさく感じるのはゲームの方が悪い」ってことなんですよね。本当にそうでしょうか?

問題の中心はそこではないと思います。この記事では、最初に前提として、

そもそもゲームとは「暇つぶし」なので

と言ってるのですよね。ここが問題なんじゃないかなー、と。

子供の頃、はじめてゲームに出会ったあの頃、自分にとってゲームは「暇つぶし」だったのでしょうか。はじめてスーパーマリオに出会ったとき、はじめてゆうしゃの名前を決めたとき、クリスタルタワーで死闘の末に全滅したとき、ゲームは「暇つぶし」だったのでしょうか。

「面倒くさい」と感じるのは、そう感じるプレイヤー側にも問題があるんじゃないかな、と思っています。でも、それがいいとか悪いとか、そういうことでもないと思います。誰だって大人になります。子供の頃と同じように、世界が輝いてみえるわけじゃないのですから、童心にかえって楽しめ、といわれても難しいでしょうし。

とはいえ、少なくともシバ山にとってはゲームは暇つぶしではありません。楽しみな新作のために仕事を早めに終わらせたり、発売日に有給をとるかどうか悩んだり、電車の中でも脳内でコンボ練習したり、風呂の中でもキャラの育成方針を考えたり。…これじゃただのゲーム脳ですが。

大事なのは、能動的に楽しもうとするのか、受動的に楽しませてもらおうとするのか、という態度の違いだと思います。別に、「能動的に楽しめないのならゲームやめちまえ」といっているわけではありません。「なんか面倒くさいな」「楽しめてないな」と思ったら、ちょっと昔の自分を、楽しんでいた頃の自分を思い出してほしいのです。どうせやるなら楽しみたいじゃないですか。

これってゲームに限らず、「昔はよかった」的な話をきくと、毎回思ってしまうのです。昔と比べて変わったのはモノだけじゃないんですよ、アナタ自身も変わったんですよ、と。