アニメ【シンデレラガールズ】考察 美城常務とは何だったのか

2ndシーズンにおいて、物語を大きく動かす中心的な役割を果たした美城常務。悪役のようで悪役ではなく、仕事ができるようでうまくはいかず、口を開けば難解なポエムでバトルを挑んでくるばかり。さて、彼女はいったい何だったのでしょうか。

アニメ『シンデレラガールズ』の2ndシーズンは1話ごとに考察と感想を書いてきましたが、今回は総括として美城常務にスポットを当ててみました。美城常務は2ndシーズンの台風の目です。だからこそ、彼女に焦点を当てることで、物語全体が見えてきます。

美城常務は登場するたびに詩的で難解なやりとりばかりしていたので、蘭子の心の声みたいな副音声をつけていただきたいところですが、彼女の言葉と行動を読み解いていけば、本作の本質ともいうべきものがみえてきます。彼女は、ただのポエムバトラーではないのです。

結論を先に書いておくと、物語における美城常務の役割は2つ。「アイドルマスター」へのアンチテーゼと「シンデレラガールズ」へのアンチテーゼです。2つのアンチテーゼを投げかけることで、「アイドルマスター」とは何か、「シンデレラガールズ」とは何かが導き出されています。

「アイドルマスター」へのアンチテーゼとしての美城常務

当初から美城常務に対する考察はたくさんありました。「実は悪い人じゃないのでは」とか「実は仕事のできる人なんじゃないのか」とか。実際、常務の仕事っぷりを現実的な視点で考察するのは興味深いのですが、物語における彼女の役割を考えるのであれば、この世界が「アイドルマスター」である、という前提を抜きにしては語れません。

2ndシーズンを振り返ってみると、前半の常務はさまざまな仕事をしているものの、どれもうまくいっていません。そのどれもが、「アイドルマスター」であることを理解していないがために失敗しているのです。実のところ、これは1stシーズン前半におけるプロデューサー(以下、P)と同じ過ちであり、Pの成長を示す対比としても描かれています。

まず、第15話で楓さんを勧誘しますが、断られてしまいます。理由は、常務が仕事の大きさばかり見ていて、ファンのことが見えておらず、ファンの視点が理解できていないためです。これはPと未央が第6~7話で通った道でもあります。Pとアイドルたちは一緒に階段を上るべきなのであり、さらに楓さんはファンとも一緒に進もうとしています。「アイドルマスター」における1人目のファンはプロデューサーですから、ファンではない常務は一緒に進むべき存在ではありません。だから「目指すところが違う」として、断られてしまったのです。アイドルたちがファンと共に歩んだ結果は、最終回の『M@GIC』でサイリウムに照らされた姿が示すとおり。

アイドルマスターシンデレラガールズ ファンではない常務とは一緒に進めない

次に、16話でウサミンたちのバラエティー部門を切り捨てようとしたり、17話で美嘉にアダルト路線を押し着せたりしていますが、常務の指示がどちらも部下を通して伝えられていて、直接アイドルたちと向き合っていないところに注目。アイドルたちと向き合わなければならないことは、1stシーズンの前半で散々描かれていました。「アイドルマスター」はアイドルとコミュニケーションをすることで信頼関係を築き上げていく物語ですから、アイドルと向き合わずにうまくいくはずがないのです。

アイドルマスターシンデレラガールズ アイドルと向き合わない常務

そして19話では、夏樹たちによるアイドルロックバンドをプロデュースしようとしますが、これもうまくいきません。「音楽、ビジュアル面も含め、一流スタッフを揃える」というのは、一見すると真っ当なプロデュースに思えますが、この世界は「アイドルマスター」です。アイドルの意見を一切聞かないのはバッドコミュニケーション以前の問題。過去のPがまっすぐに道を示すだけではうまくいかなかったのと同じで、常務の仕事ぶりは今西部長のいうところの「車輪」に近いものです。しかし、「アイドルマスター」におけるプロデュースとは、一般的なプロデュース業とはまったく違うので、うまくいかないわけです。

アイドルマスターシンデレラガールズ 一般的なプロデュースをする常務

22話の秋のライブでは、特等席からステージを眺めていたため、トラブルに対応できませんでした。「アイドルマスター」では、プロデューサーとアイドルは一緒に進むものです。これは第7話でPがメンバー全員の前で話していたことでもあります。しかし、常務は上から見下ろすばかりで、自分も階段を上らなければならないとは考えていません。後に、ステージの裏で紡がれたアイドルたちの絆を目にすることになりますが、その輪の中に入っていない常務は、彼女たちと支え合う関係にはなれないのです。

アイドルマスターシンデレラガールズ 秋ライブの美城常務

こうして見ていくとわかるとおり、美城常務の仕事っぷりは現実的な観点からすればどうかはともかく、「アイドルマスター」の世界ではダメダメなのです。プロデューサーである前に1人のファンとしてアイドルたちと切磋琢磨しながら一緒に進むのが「アイドルマスター」なのですから、彼女のやっていることはすべて正反対。彼女がアンチテーゼとして何度も仕事で失敗するたびに、この世界が「アイドルマスター」であることが示されているのです。

「シンデレラガールズ」へのアンチテーゼとしての美城常務

「シンデレラガールズ」は、原作のゲーム版からして個性的で尖ったアイドルばかりです。1人1人に強烈な個性が与えられているのは、カードゲームとして非常に多くのキャラクターが登場するためです。あまりの尖りっぷりは、まるでニートのような杏に代表されるように「これがアイドルなの?」と言われそうなほど。ここへ「そんなのはアイドルじゃない!」と殴り込んできたのが美城常務です。

美城常務の理想とするアイドル像は、スター性や物語性があって皆の憧れるお姫様のような存在です。それは伝統ある346グループに相応しい者、としていますが、要するに彼女の掲げる理想は、既存の一般的なアイドル像です。しかし、「シンデレラガールズ」の提示するのは、既存のイメージにとらわれないアイドル像です。当初の346プロも「新しいアイドルのカタチ」を提示し、個性を伸ばす方針を掲げていました。常務はこの方針を良しとせず、自らの理想のためにアイドルたちの個性を否定します。これが「シンデレラガールズ」へのアンチテーゼとしての美城常務です。

アイドルマスターシンデレラガールズ 346プロの方針

常務はまず、すべての部署を解体して白紙に戻し、自分の理想にそぐわないバラエティー部門などを切り捨てています。他のアイドルにも大幅な路線変更を強要していました。個性ガン無視の方針です。しかし、そんなことではアイドルたちは折れたりしません。15話のウサミンや19話の夏樹はクビになる覚悟で自分のやりたいこと、つまり個性を押し通します。が、常務は従来の346プロの個性を伸ばす方針については「大いに結構」と言いつつも、明らかに個性を軽視しています。

アイドルマスターシンデレラガールズ 折れないアイドルたち

次に、自分の理想に合致するアイドルを選出してプロジェクト・クローネを作っています。お披露目となった秋の定例ライブでは、「私が選んだ346に相応しい者たち」と自身の手腕を得意げに語っていましたが、実際、常務の見る目は確かでした。ただし、アイドルの輝きを見る目はあっても、輝かせているものが何なのかは見えていません。雲に隠れた星を無価値だと語る彼女ですから、見えていないというより、見ようともしていない、といった方がいいかも。

アイドルマスターシンデレラガールズ アイドルを輝かせるもの

アイドルを輝かせているのは、それぞれが胸に秘めた願いでした。願いとは夢のこと。夢見る少女はキラキラしていて、夢に向かって走る姿はさらに輝いている、というのが輝きの正体です。第1話で卯月の笑顔が凛を虜にしたのは、これからアイドルになるという冒険の出発だったからだし、トライアドプリムスに参加した凛や演劇をはじめた未央も同じです。1人1人の夢が違うから、走る道も走り方も違います。それが個性というべきものです。個性を否定する常務には、アイドルたちを輝かせているものが何なのか、見えるはずもありません。

アイドルマスターシンデレラガールズ 星に願いを

2ndシーズンは当初から個性がキーポイントであり、常務は個性を否定する存在でした。「シンデレラガールズ」は個性の尖ったキャラクターであふれていますから、個性に焦点を当てるのはある意味、当然の帰結なのかもしれません。個性とは何かを問うために、常務が個性の否定というアンチテーゼを投げかけ、個性とはアイドルを輝かせるものなのだという答えを示しているのです。

同じ理想を抱く常務と卯月とを分けた明暗

ところで、常務の理想である「お姫様のようなアイドル像」は当初、卯月が夢見ていたことと同じです。卯月の語る夢は、ステージに立ちたいとかTVに出たいとか、一般的なアイドル像そのもの。普通の女の子がお姫様に憧れてアイドルを目指そうとする、というのは、常務が掲げる物語性に他なりません。しかし、お城への階段は「やさしい王子に手を引かれて」上るものではありません。上りたいと願うなら、自分の足で上らなくてはならないのです。自分で願い、自分で叶えるからこそ輝けるというもの。卯月はこれができず、大きくつまづくことになってしまいます。

アイドルマスターシンデレラガールズ 卯月はお姫様を夢見る普通の女の子

第24話の冒頭で、常務は卯月に問います。「君の輝きはどこにある?」と。このときの卯月は輝きを失いかけていて、自分でもどうやって輝けばいいのかわからなくなっているため、答えられません。しかし、そもそもこの質問をしていること自体、常務がアイドルを輝かせているものの正体に気づけていない証拠です。だから、Pにも「今のあなたには見えていないだけで」と言われてしまうのです。結局、卯月はPの見込んだとおり、自らを輝かせるものに辿り着き、大きな成果をあげることになりました。

アイドルマスターシンデレラガールズ 卯月にポエムバトルを仕掛ける常務

常務と卯月の明暗を分けたのは何か。常務は、輝きを失った卯月を早々に切り捨てようとしました。しかし、Pとアイドルたちは卯月を待ち続けます。クリスマスライブ前日に「十分に待ちました」という常務に対し、Pは当日の午後になっても「まだ時間はあります」と車を止め、かつて卯月が憧れたステージへと連れていき、「選んでください」と彼女が自分で歩み出すのを待ちます。自分で願い、自分で踏み出さなければ意味がないので、とにかく待ちます。ライブがはじまっても尚、凛と未央はステージの袖で卯月が踏み出すのを待っています。もう、とことん待つ。待ち続ける。ここまで待てるのは、卯月のことを信じているからに他なりません。築き上げた信頼関係があるからこそ、どこまでも待てるのです。

アイドルマスターシンデレラガールズ 待つという信頼関係

前述のとおり、「アイドルマスター」とはアイドルと信頼関係を築き上げていく物語です。信頼関係とはつまり、絆の力。仲間たちに支えられた卯月は輝きを取り戻すのですが、絆の力は自分で築き上げてきたものですから、一方的に支えられているわけではなく、支え合っているわけです。これこそが「アイドルマスター」でしょう。対して常務は、信頼関係を築こうともしていないので一切待てません。待てないから、「シンデレラガールズ」でアイドルを輝かせているものの正体、つまり個性の重要性に気づけないのです。

Pの掲げる個性を伸ばす方針は、こうして待ち続けることも必要になるため、当初の常務が「成果が出るのが遅すぎる」と懸念していたとおり、非効率的で時間のかかるやり方です。とはいえ、常務の設定した期間の中でPは成果を出しました。彼らが期限に間に合ったのは、常務がさまざまな問題を投げかけることで、結果的にアイドルたちの成長を加速させることに繋がったからです。白紙に戻したから部署の枠を超えた「舞踏会」が生まれ、クローネに引き抜いたことから新たな可能性を見出すことができたのです。

常務にとっては皮肉なことですが、もし常務が346プロにやってこなかったとしたら、サマーフェス以降もシンデレラプロジェクトに大きな変革はなく、これほど輝きを増すことにならなかったでしょう。エピローグでちゃっかり専務に昇進している彼女ですが、なんだかんだで成功に一役買ってるわけです。

平行線の交わる先へ

「舞踏会」の最後には、美城常務はPの成果を認め、特等席ではなく観客席からライブを見て拍手を送っています。今西部長が「楽しんでみたら」と助言していたように、彼女はここではじめてライブを楽しんでいます。前述のとおり、「アイドルマスター」においてアイドルをプロデュースする者は、プロデューサーである前に1人のファンです。ファンもプロデューサーもアイドルと一緒に進むべきであると同時に、一緒に楽しむべきでもあります。なので、常務はここでようやく「アイドルマスター」のスタートラインに立てたといっていいでしょう。

「アイドルマスター」として再スタートを切った常務は、方針を転換しています。エピローグでの346の社訓が書かれた看板がその証拠。彼女の言うように、城=会社を第一と考えるにしても、アイドルたちを輝かせなければならないことは変わらないため、個性を伸ばす方針を推奨するに至ったのでしょう。また、ラストシーンでステージ袖に並んでいるところをみると、彼女もまたアイドルたちと一緒に進むべきだと理解しており、絆の輪の中に入ろうとしていることがうかがえます。

アイドルマスターシンデレラガールズ 常務のエピローグ

こうして、「アイドルマスター」と「シンデレラガールズ」へのアンチテーゼとしての役割を果たした常務ですが、1つだけ、常務のやり方で否定されていないことがあります。それは、常務の理想のアイドル像です。普通の女の子が憧れるお姫様のような存在、というアイドル像は否定されず、許容されています。なぜならば、それも1つの可能性だからです。既存のアイドル像だから尖った個性はありませんが、それも1つの個性といえるでしょう。だからこそ、同じようなアイドル像を思い描いていた卯月は輝けたのです。

ラストシーンにおける「お願い!シンデレラ」のステージは常務あらため専務の企画した春フェスです。ちひろがPに資料を渡した後、専務が「届けてくれたか?」と聞いているので、専務発の企画だとわかります。「The Story of Cinderella Girls」というタイトルは、彼女が理想に掲げていた物語性でしょう。

アイドルマスターシンデレラガールズ スプリングフェス企画書

専務が理想とするお姫様のようなアイドルとして、Pの個性を伸ばす方針で成長してきたシンデレラプロジェクトのメンバーが選出されるというのは、専務とPの2人の理想が融合した姿です。ラストシーンのあのステージは、彼女の言っていた「平行線」が交わった瞬間だといえるのかもしれません。アイドルたちの可能性が平行線を超えていったからこそ生まれたステージともいえるでしょう。この物語の終着点として、未来へ続く出発点として、これ以上ないラストシーンだったのではないでしょうか。

アイドルマスターシンデレラガールズ

ともあれ、美城常務は「アイドルマスター」とは何か、「シンデレラガールズ」とは何かを問うためのアンチテーゼでした。その回答としては、「アイドルマスター」はアイドルと信頼関係を築き上げてファンと共に進む物語であり、「シンデレラガールズ」は個性豊かなアイドルたちのことでした。おそらく本作の出発点として、そもそも「アイドル」とは何か、というもう一歩掘り下げた問いがあったのでしょう。アイドルとはキラキラと輝いている者であり、輝かせているものは夢見る願いであり、夢に向かって走る道はそれぞれ違うことから個性が生まれる、というのが、本作を通して読み取れる答えです。この答えにたどり着くまで問いを投げ続けたのが美城常務だったわけです。

というわけで、美城常務、お疲れ様でした。ここからはボクたちプロデューサーが引き継ぎましょう。毎度おなじオチで大変恐縮なのですが、アイドルたちの無限の可能性を幾多のプレイヤーに委ねる結末である以上、これ以外のオチは考えられません。ですから、常務を通じて示された答えを、我々の手でゲームにぶつけましょう。別にガシャなんて回さないプレイスタイルでも、可能性の1つとして許容してもらえるはずですから、ね? …ダメ?

アイドルマスターシンデレラガールズ 無言の圧力

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