『ゾンビランドサガ』感想 ゾンビアイドルが突き進んだ道はまさに王道だった

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二次元アイドルが絶え間なく生み出されている現代、彼女たちのキャラクターを支える「属性」は新たなステージを迎えた。それは「ゾンビ」である。

ゾンビxアイドルxSAGA

『ゾンビランドサガ』は最先端のアイドルアニメだ。生前にさまざまな"伝説"を残してこの世を去った女の子たちがゾンビとして蘇り、佐賀のご当地アイドルとして活動していく、という物語である。この時点でもう何を言っているのかわからないが、そういう話なのだから仕方ない。ゾンビがアイドルというだけでもワケがわからないのにご当地要素まで加わって、手垢の付きまくったジャンルの三段重ねになってしまっている。そんな題材で大丈夫か?

実際、第1話を見た直後は「ははーん、ノリと勢いで押し切るつもりだな?」などと思ったものである。だってさ、デスメタルから始まるアイドル活動!そういうのもあるのか!…なんて思わないじゃん普通。しかし、話が進めば進むほどそれだけではないとわかってくる。ノリと勢いで予想の斜め上を飛んでいくアニメかと思いきや、実は王道アイドルアニメだったのだ。

開始1分半で斜め上に吹っ飛んでいく主人公・源さくら

では、アイドルアニメの王道とは何だろうか。雑に言ってしまうと、アイドルがさまざまな困難を切磋琢磨で乗り越えることで成長し、やがてステージで輝く…、といった展開だろう。しかし、いくらこの範疇に収まっていても、立ち塞がる困難がヌルければがんばる姿もしょぼくなり、ステージでの感動も半減してしまう。だから、困難をどう設定するかは非常に重要だといえよう。

そこにきて「ゾンビランドサガ」はどうなのか、というと、まったくヌルくない。しかもかなり独特だ。というのも、彼女たちがゾンビだからである。つまり、すでに死んでいるのだ。彼女たちに降りかかる困難はどれも死んでいなければ起こるはずのないものばかり。そんな困難を乗り越える方法もまた、ゾンビもしくはアイドルでなければできない方法ばかり。これこそが「ゾンビランドサガ」の真骨頂である。

私たち、もう死んでますから

たとえば、第6~7話の展開。第6話では、昭和のアイドル・紺野純子と平成のアイドル・水野愛はアイドル性の違いからケンカをしてしまう。どちらもアイドル経験者であり、かつては伝説となるほどの成功を収めた者同士ではあるものの、時代による意識の差、イメージの相違によって仲違いしてしまうのだ。生きたアイドルでも多少の年齢差からくるジェネレーションギャップは描けるかもしれないが、ここまで強烈な差にはならないだろう。この展開はゾンビだからこそ描ける展開といえる。

昭和と平成の伝説の間には、実に25年の隔たりが存在する

そうして純子が離脱した後、それでもメンバーを引っ張っていた愛を襲うのが彼女のトラウマだ。愛のトラウマは雷。なぜなら彼女の死因は野外ライブ中の落雷のよるものだからだ。アイドルアニメにトラウマを乗り越える展開は数あれど、それが死因であるケースはそうそうないだろう。人間は死んだら終わり、だから乗り越えようがない。しかし彼女たちはゾンビである。だから死因をトラウマとして、乗り越えるべき困難として扱うことができるのである。

それでもゾンビだから乗り越えていける

この2人の困難の乗り越え方もすごい。純子は自身のアイドル観と現代とのギャップに悩んでいたが、プロデューサー・巽幸太郎の説得で吹っ切れることになる。幸太郎の言い分は「周りに迎合する必要はない」「嫌な仕事は無理にやらなくていい」というものだ。なかなか思い切った説得だが、ある意味では当然かもしれない。そもそも幸太郎が時代の異なる人材をゾンビとして蘇らせたわけだし、そこから生まれる個性を捨てる理由はないからだ。それを捨てたらゾンビである意味がなくなってしまう。ゾンビであることを世間に知られてはいけないが、ゾンビであることによって生まれた個性はしっかり利用するのである。

一方、愛のトラウマは、生前と同じく野外ライブ中にまたしても雷の直撃を受けることで克服される。雷に打たれても死なない…、そう、ゾンビならね。もう死んでるけど。これはハチャメチャだが説得力はある。いや、だからといって雷属性付与で指からビームを出すのは意味がわからないけど、そんなことをいうと「いかんのか?ビーム出したらいかんのか!?」と押し切られそうではある。とはいえ、そういう力強さも本作の魅力であるといえよう。

指からビーム出したっていいじゃない、ゾンビだもの

ゾンビだからこそ、すでに死んでいるからこそ使える設定をフル活用してドラマを作り出すのが「ゾンビランドサガ」なのだ。それでいて、困難を乗り越えた先のステージで輝くというお約束は外さない。だから王道なのである。

"もってない"主人公・源さくら

極めつけが主人公・源さくらに課せられた困難だ。11話で語られる生前の彼女は、生粋の努力家でがんばり屋だが毎度不運に見舞われて一向に努力が報われないというもの。困難を努力で乗り越えていくアイドルアニメにおいて、努力が決して報われない設定というのは残酷すぎる。あまりにも重い十字架ではないか。彼女の過去はややコミカルなタッチで描かれていたとはいえ、それでも十分に辛い…。誰だよこんな設定考えたやつ、鬼か。

「いつもはちょっとダメダメで、私もっとらんな~」なんていうレベルではない

さくらの過去を見て「努力が足りないからだ」とか「成功するまで続けるのが努力だ」とか言う人もいるかもしれない。だがそれはあまりにもマッチョすぎる。人間は経験に学ぶ生き物なのだ。だから、努力をしても成功できない経験を繰り返してしまうと、そういうものだと学習するのだ。だから成功体験を得られなかった人間は諦め、やがては腐ってしまうのである。別に怠け者なわけではない。むしろ努力家であればあるほど陥りやすいのだ。

それでも、それでもさくらは諦めずに前を向いてアイドルを目指して走り出そうする。なんという努力家気質。なのにその矢先、ついに事故で死んでしまう…。もう一度言う、鬼か。

"もってる"プロデューサー・巽幸太郎

さくらを救ったのはプロデューサー・巽幸太郎だ。咲くことも叶わずに散ったさくらをゾンビとして蘇らせ、アイドルへと誘うのだ。当初から彼が掲げていた「佐賀を救う」という目標もあながち嘘ではないのだろうけれども、だとすればなぜさくらなのか? 何かしらの伝説をもったメンバーの中でただ1人、伝説をもたないさくらがなぜ選ばれたのか?(山田たえは伝説、念のため) 

宮野真守役の宮野真守…ではない

その謎の答えが最終回12話でようやく仄めかされる。かつて、幸太郎はさくらと同級生だったのだ。ということは、彼はさくらの努力する姿を見ていた可能性がある。実を結ぶことはなかったとはいえ、努力を続けるさくらの姿に心を打たれていたのだろう。アイドルになる前からがんばる姿で人の心を惹きつけてみせるとは、まさにナチュラルボーンアイドル。死んじゃうけど。ともあれ、幸太郎がさくらの1人目のファンであり、プロデューサーであるのだ。どこのアイドルマスターだよ。

死んでも夢は叶えられる

伝説のメンバーたちを奮い立たせたのは間違いなく彼女の功績である

ゾンビになってからのさくらは生前の記憶を失っているため、生来の努力家気質でメンバーたちを引っ張る存在となる。デスメタルからラップバトルまでこなす彼女のひたむきな姿勢はメンバーの心をとらえ、アイドル活動へと誘っていく。そして地道なレッスンと仕事を重ねて成長を続け、ついには野外ライブで大きな成功を収めることになる。

第7話の野外ライブの最後に号泣するさくらが描かれているが、11話で彼女の過去が明らかになった後に見返すとこみあげるものがある。生前の記憶がないとはいえ、彼女にとってはこれが初めての成功だったのだ。生まれて初めて努力が報われた瞬間なのだ。死んでるけど。そりゃあ泣く。泣いていい。

お前は今、泣いていい

しかし第10話のラストにて再び事故に遭い、ゾンビになってからの記憶を失い、あろうことか生前の記憶を取り戻してしまう。あの失敗ばかりの記憶を、である。間違いなく鬼。さくらは自身の"もってない"体質でメンバーに迷惑をかけないため、アイドル活動から離れようとするのだが、ここで彼女を救うのはまたしても幸太郎である。

それがあの人のSAGAだから

第11話ラストにおける幸太郎の説得はハッキリ言ってめちゃくちゃだ。

俺がもっとるんじゃーい!
いくらお前がもってなかろうが、俺がもってりゃええんじゃい!
なんかこうでっかい…すっごい、何か!!
でっかくてすごいの、俺はもっとるんじゃい!

いいか、さくら!
だから!俺は!!お前を絶対に見捨ててやらん!!!

これもうプロボーズでは?

めちゃくちゃだが、めちゃくちゃ力強い。これまで散々ハチャメチャを繰り返してきたからこそ許される力業である。笑いあり涙ありなんていう物語において、笑った後で泣かされたり、涙を拭っている最中に笑わされたりすることは数あれど、笑いながら痺れさせてくれたのは初めてだ。このシーンを見たときに湧き上がった感情を表現する言葉をボクは持っていない。すごい。すごいとしか言いようがない。

注目すべきは最後の「見捨ててやらん」である。彼はさくらが死んでも見捨てなかった。咲くことなく散った彼女のことを見捨ててはいなかったのだ。だから彼女を蘇らせた。まさに徒花ネクロマンシー。また、佐賀を救うという目的だけなら生きたアイドルでもよかったはずだ。けれども、さくらを選んだ。それも目的だからだ。しかし、いくら素質があったとしても彼女1人では歯が立たないし、1人だけゾンビというわけにもいかない。だからメンバー全員をゾンビで構成するプロジェクトにしたのだろう。もはや執念である。

これが王道じゃい

さくらを再びステージに向かわせたのは幸太郎の説得だけではない。どちらかというと幸太郎はキッカケを与えただけで、決め手となったのはメンバーによる説得の方だろう。メンバーがさくらを説得しようとしたのは、それまで彼女が引っ張ってくれたからだ。水野愛の言うとおり、失敗はダメでも無駄でもなかったわけだ。それまで助けてきた人たちから逆に助けられる展開、それは王道中の王道といえよう。

The 王道

"もってない"さくらと"もってる"幸太郎、フランシュシュのメンバーたち、そしてファンの存在によってライブは大成功のうちに幕を閉じる。ライブの最中に記憶を取り戻すのはいささか都合がよすぎる気がしないでもないが、ショックを与えれば自我を取り戻すのがゾンビなのだから問題はないだろう。ああ、よかったいよかったい。

努力家でがんばり屋の主人公がその努力によって手に入れた仲間とファンと共にライブを成功に導く…、これを王道と言わずして何という。ゾンビが佐賀でアイドルを目指すという異色の取り合わせではあるが、その内容はド真ん中ストレートのアイドルアニメなのである。

と思うじゃん?

しかしである。あの不穏な幕切れはアイドルアニメの王道ではなかった。どちらかといえばゾンビ映画のお約束だろう。「いかんのか!ゾンビィ映画じゃいかんのかーい!?」と言われそうだけども、イカンですよそりゃ。こんなに気になるラストを残していくなんて、いかんに決まってる。アイドルがスキャンダルでピンチになるだけならともかく、これまたゾンビでなければ発生するはずのないスキャンダルなわけだし。これを気にするなと言うのが無理な話。そんなわけでスタッフ各位におかれましては2期でもOVAでも劇場版でも早々に続編を展開していただきたい。どやんすっと?ここからどやんすっと?

そこんとこヨロシク!

徒花ネクロマンシー
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