【書籍】『世界はデタラメ ランダム宇宙の科学と生活』

科学というものは実験や観察を通して宇宙のさまざまな法則を見つけ出してきました。でも、この宇宙のすべてに法則が存在すると考えてしまうのは大きな間違い。この世界がカオス的な無作為に支配されているのかを、確率や統計や量子などいろんな方向から説明してくれるのがこの本です。

「神はサイコロを振らず」とはアインシュタインの有名な言葉。この場合の”神”とは、雲の上に立っている白い爺さんのことではなく、宇宙の真理とかそういう類のものでしょう。この宇宙を形作る絶対的な法則、”真理”ともいうべきものが存在していると信じていた彼にとって、予測不能でランダムな量子論は耐えがたいものだったのでしょう。しかし、現在もまだ”真理”に到達できておらず、量子論が幅を利かせていることは周知のとおり。

本書『世界はデタラメ』の原題は「Dice World」。この世界はサイコロを振るようなランダム性に支配されていることが書かれています。その説明のために、確率、統計、気象に数学、量子論から宝くじまで、多岐に渡る話題が盛り込まれており、どこを開いても楽しく読むことができました。

こんなにも多くの話題が盛り込まれているのは、人間というものがそれだけ法則やパターンを望む生き物だからです。物事に法則性を見つけたりパターン化できたりすれば、それだけ効率化が進みます。なので、法則やパターンがないことを理解するためには、多くの説明が必要になってしまうわけです。

確率という魔物

法則やパターンを見つけようとするとはどういうことか。たとえば、電灯のスイッチはさまざまな形のものがあり、さまざまな場所に設置されていますが、「電気をつけよう」と思えば、それがたとえ知らないホテルの部屋であってもそう迷うことなくスイッチを入れることができるでしょう。しかし、これをロボットにやらせようとすれば、1つ1つのスイッチごとに異なるプログラムが必要になるわけです。「大体わかる」なんて感覚はロボットにはありません。パターン化することによる効率化とはこういうことです。何気ないことですが人間が生きていく上で重要なことですよね。

こうしてパターンを見つけることが生きていく上で有効なので、人は何にでもパターンを見つけようとしてしまう癖があるのです。電灯のスイッチのようにパターン化できるものならいいのですが、そうでないものにもパターンを見出してしまうのが厄介なところ。

たとえば、コインを投げて表が出る確率を問われたら、誰でも50%と答えるでしょう。しかし、3回投げて3回連続で表、表、表、と出たら、次にどちらが出ると予想するでしょうか。「表が連続したからそろそろ裏かな?」とか「いや、流れがキテるから次も表じゃないか」とか考えてしまいがちです。残念ながら、何回投げても50%であることには変わりありません。コインは前回の結果を記憶していませんから、前に表が出たかどうかなど関係ないのです。

確率の話では、宝くじの話もあります。1~43の数字の中から6つ選ぶというロト6の1等は1/6,096,454の確率。めまいがしそうなほど低い…。しかし、ここでもパターン化したがる癖が悪さをしがちです。過去の当選ナンバーから当たりがでやすい数字を割り出そうとする試みを見たことがある人も多いんじゃないでしょうか。でも、コインと同じく、前回の結果が次回の結果に影響を与えたりはしません。過去によく当たりが出たという数字は、たまたま偶然にすぎません。コインを10回投げたら表が7回出たとしても、何も不思議じゃないのと同じなのです。

余談ですが、このロト6の話についてはリターンを最大化する方法についても触れられていました。ロト6は当たった人全員に対して賞金が分配されるシステムなので、同じ確率ならできるだけ他の人と違う番号を選んだ方がリターンが大きくなります。なので、誕生日や何かの記念日などに該当しそうな1~31とか、123456のような羅列とか、人気のありそうな番号を避けるのが1つの攻略法になりそうとのこと。どっちみち1/6,096,454には変わりないのですけど。

統計という悪魔

確率と同じように、勘違いや読み違いをしてしまいやすい数字が統計です。統計、と聞くだけで顔をしかめてしまう人もいるのではないでしょうか。これは、統計というものが未来を予測する上で役に立たない、ということだけでなく、統計で出された数字の読み方を間違えている場合が多いことも理由です。

統計の間違った解釈としてボクたちもよく目にするのが平均年収。どこかのメディアが平均年収の数字をあげれば、瞬く間にTwitterやSNSなどでシェアされて回ってくる人気記事の定番ですよね。自分の年収が平均以上か以下かで一喜一憂するわけです。平均以下だと、自分が世の中の半分より下だと思い、気分が沈んでしまうかもしれません。

でも、この平均の値はド真ん中の値というわけではありません。たとえば、100人の平均年収を出す場合、そのうちの1人がビル・ゲイツだと、99人は平均以下になってしまうでしょう。年収の場合、下限は0ですが上限はないため、どうしても上に引っ張られてしまうわけです。平均年収が意味のない数字だというわけではありませんが、少なくとも自分の社会的地位やステータスを計る物差しとして使うのはあまりいい使い方ではないでしょう。

他にも、寿命の平均とか。過去、平均寿命が40代だった時代もあるのですが、じゃあその時代の人間が40代でバタバタと死んでいたのかといえば、そんなことはありません。40代まで生きた人間は、大抵の場合60代や70代になるまで生きています。幼少期に身体が出来上がる前に死んでしまった人が平均を大きく下げているだけなのです。

平均だけでなく、統計に基づく数字というものは日々の生活の中でよく見かけるわけですが、それだけに注意して扱う必要があるのです。パーセンテージで表された数字などは特にそうで、2人に1人の50%と1,000人に500人の50%では全然意味が違いますよね。調査のやり方によっても偏りはでるでしょうし。

もちろん、統計というものがまったく信用ならないクソったれなモノといいたいわけではありません。正しく算出し、正しく扱う場合は非常に有用であることは間違いないのですから。

成功の法則はやっぱり、ない

確率や統計は未来の予測をしたいからこそ生まれたものです。でも、我々人類は未来を予測できるようにはなっていません。確率が高い方を選ぶことはできても、それが当たるかどうかは結局わからないのです。経済学者がお金持ちではないとはよく言われることですが、そういうものです。

成功者が成功を語った本というものは多数出版されています。自分がどうやって成功を手にしたのか、その方法や理由を語ってくれているのですが、同じことを真似しても大抵は成功できないでしょう。彼らが成功の理由だと考えていることが間違いだというわけではありませんが、それだけが理由だというわけでもないのです。成功への過程は多くの要因が絡む相関関係であって、1つや2つの理由に基づく因果関係というわけではないのですから。(もちろん、そういった本を否定するわけではありません。読み物としておもしろければそれでOKでしょう。)

たとえば、次のベストセラーがどれになるのか、予測するとしましょう。確率的に考えれば、著名な作家の書いた本が売れる可能性が高いようにみえます。でも、無名の作家であっても、有名なブロガーに取り上げられたり、それがSNSでシェアされたりして爆発する可能性もありますし、何かの拍子に数年前の本が売れる可能性だってあります。「今日も1日がんばるぞい」のコマだけで品薄になるなんて、一体誰が予想できたでしょうか。

成功には理由があるはずだと考えてしまいがちですし、成功した本人も「アレが理由だったのでは」と理由付けをしてしまいがちです。もちろん何らかの理由があるのは間違いありませんが、それが1つや2つの単純な理由ということはまずないでしょう。そういえば、昔『パズドラ』のガンホー社長が「ヒットの方程式はやっぱ、ない」と語っていましたが、ある意味もっとも冷静な分析なのかもしれません。

参考:[CEDEC 2013]ゲーム開発はドラマだ。ガンホーの森下一喜社長が“名台詞”を引用して語った「ゲームを創ること」の素晴らしさ – 4Gamer.net

人間の社会はあまりにも多くの要因が絡み合っているため、予測が非常に困難になっているのは間違いありません。すべての情報を突っ込んで計算できるスーパーなコンピュータがあれば予測できる、と思いたくもなりますが、天気予報の精度をみている限り、もっと複雑な人間社会を予測できるとは到底思えません。気温や湿度と違って数値化できないこともいっぱいありますし。

サイコロの目は予測不可能

もっと突き詰めて、最小単位である量子の1つ1つのすべてを把握し、計算できるスーパーでウルトラなコンピュータがあれば、未来は予測できるのでしょうか。残念ながら、その答えもノーです。量子の動きはランダムであり、そこに法則性はないからです。

アインシュタインの言ったように、神はサイコロを振らず、この宇宙の真理と呼ぶべきものがあるのなら、その法則に基づいて未来の予測もできるかもしれません。しかし、現代の科学でメジャーなのは量子論、箱の中の猫が生きているけど死んでいる方の理論です。シュレーディンガーのイジワル問題は人の経験則からは信じ難い話としても非常に有名ですよね。あのかわいそうな猫は、量子論が理解しづらく受け入れがたいことの象徴になっているようにも感じます。

しかし、この宇宙に真理と呼ぶべき法則があるとして、それで未来を予測できてしまうとすれば、我々に自由意志が存在しないことになってしまいます。自分で考えて自分で行動しているつもりでも、実はすべてあらかじめ決まっていたことになってしまうのです。これはこれでやっぱり受け入れがたい話ですよね。

量子論が正しいのか、それともやっぱり宇宙の真理が存在するのかはまだわかりません。科学というものは新しい事実が発覚すれば覆ることだってありますから、この世界がどうなっているのかが判明するのはまだ先になるでしょう。もちろん、明日判明する確率だってゼロではないわけですけれども。

偶然はとっても科学的

そんなわけで『世界はデタラメ』、非常に多岐に渡る分野からこの世界の偶然を科学する本でした。科学の本ではありますが、具体的な例も多く読みやすい本です。サブタイトルにあるように、ボクたちの生活と密接に関わっていることを伝えるための本なので、日常でよく見かける確率や統計の話なども多く使われているのです。

今回ここで取り上げた例などは本当に一部でしかなく、もっともっと多くの話がぎゅうぎゅう詰めに凝縮されているのでボリュームも満点。日々の生活の中にある偶然というものが、いかに科学なのか、偶然に理由をつけてしまうことがいかに科学ではないのか。本書は、日常にちょっと違った視点を与えてくれる1冊でした。

ブライアン・クレッグ
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