【書籍】『Marketing the Moon 月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』

人類を月へ送り込むアポロ計画を科学や技術の面ではなく、マーケティングの面から追いかけた本。月へ到達するまでのサクセスストーリーだけでなく、その後、人々が宇宙開発から関心を失ってしまうまでの過程が書かれており、当時の広告や写真などがカラーで多数掲載されていて資料価値も高め。タイトルに込められたもう1つの意味を考慮するなら、やっぱりサクセスストーリーなのかも。

やたらカッコイイ表紙とタイトル、そしてキャッチー帯の文章に心を掴まれてレジへ運んでしまいました。

人類がまだ火星に行っていないのは、科学の敗北ではなくマーケティングの失敗なのだ。

アポロ11号に積まれていたコンピューターがファミコン以下の性能だった、なんて何度も聞いた話ですが、実際、技術的には火星だって行けそうなものです。インターネットとスマートフォンの存在が過去のSFで描かれた世界をぶっ壊している現代においても、かつて夢見ていた宇宙を飛び回る21世紀像にはなっていません。それは科学や技術のせいではなく、マーケティングの問題だとするこの一文は、確かに一理あるように感じます。

『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』(原題『Marketing the Moon The selling of the Apollo Lunar Program』)は、宇宙開発のクライマックスであったアポロ計画をマーケティングの側面から追いかけた本です。科学や技術の面では語り尽されている題材かもしれませんが、マーケティングの面に注目してまとめられている書籍は珍しいのではないでしょうか。

内容は、物語風ではなくノンフィクションのドキュメンタリー風。アポロ計画が生まれる前から終了まで、その凋落を綴ったものになっています。宇宙飛行士をはじめNASA関係者や当時のメディアの人々など多岐に渡る取材や、画像によって多数の資料が収録されており、当時の時代の空気を伝える資料としても大変価値の高いものに仕上がっているのではと思います。ボクは当時まだ生まれていないのですけどもね。

カラーでギッシリ掲載された画像の数々

本書は500ページほどの分厚さですが、ソフトカバーにしてはやや高めのお値段。というのも、中にはカラーの画像が多数掲載されているからです。月面に人類が降り立つ瞬間や月から見た「地球の出」など、お馴染みの写真から、当時の企業広告や雑誌の表紙などもカラーで入っていて資料としての価値も高い感じ。

レイアウトもカッコイイので観て楽しむこともできます。このレトロフューチャーな感じ、というか、現実のレトロなフューチャーなのだから当たり前ですけど。

Marketing the Moon アポロ計画当時の企業広告

アポロ計画が進行していた当時、NASAと契約していた多くの企業が自社のアピールをしていました。宇宙旅行に持っていく飲み物とか撮影に使われるカメラとか。アポロ計画で使われたフェルト・ペンなんかも販売されたそうです。「一方ロシアは鉛筆を使った」ジョークが有名ですが、アメリカはちゃんとペン使ってたんですね。

アポロ計画はサクセスストーリーではなかった

ケネディ大統領の宣言通り、1960年代のうちに人類を月へ送り込むことに成功したアポロ計画ですが、その後のことを含めて考えると、必ずしも成功とは言い難いものでした。人類にとって偉大な一歩を踏み出した瞬間は確かにクライマックスでしたが、その熱気を後々まで繋げていくことはできなかったのです。

アポロ11号が月というわかりやすいゴールに到達したことで、その後の月ロケットは注目を浴びなくなっていきました。12号から17号まで、カメラや生中継の技術はバリバリ進歩し、高画質で臨場感あふれるTV中継が可能となっていく反面、TVでの放映時間は削られていったのです。NASAは画質の向上だけでなく、月面着陸をゴールデンタイムにあわせたり、ロケットの打ち上げを夜にしたりと策を講じましたが、結局人々の宇宙への興奮を繋ぎとめることは叶わなかったのです。

アポロ17号がアポロ計画最後の、そして人類にとって最後の月面着陸となり、その後は誰も月へ行っていません。スペースシャトルや宇宙ステーションなど、宇宙開発そのものは継続しているものの、アポロ計画ほどの規模はありません。さらにいえば、シャトルも引退したわけで、宇宙開発は縮小の一途を辿っているのかもしれません。

月という明確なゴールは、人類が地球以外の星へ到達できることを証明してしまったため、火星でも金星でも、それ以上の価値を見出すのは今後も難しいのかもしれません。宇宙開発を支えていたのは、未知への探求心、未踏の地への冒険心、そして何より純粋な好奇心でしょうから、岩しかない星へ赴くことに大金は出せなくなるのも仕方のないことかもしれません。

一度盛り下がりはじめた流れを再度盛り上げるのは非常に難しいことです。これはおそらく、多くの企業のマーケティング担当者を常日頃から悩ませている問題でしょう。あのNASAでもこの問題には太刀打ちできなかったのだから、そりゃ難易度エクストリームなはずです。残念ながら、本書にもその答えは書かれていません。

時代を動かすというより時代の流れに乗る

1950年代、冷戦時代の軍事技術の競争から宇宙開発への注目が集まり、スプートニクショックにより宇宙開発の流れが決定的になりました。人類が宇宙へ行くことが、SFの物語から現実のモノになろうとしていた、そういう時代の空気があったようです。

宇宙開発への関心が高まる中、NASAが行ったマーケティング戦略は情報をできるだけオープンにすることでした。多くの情報を開示することでメディアの関心を引き、人々の注目を集めようとしました。宇宙飛行士が英雄のように扱われることもありましたが、彼らのプライベートは守るように働き、結果としてアポロ計画はメディアに好意的、肯定的に扱われていたようです。NASAの広報とメディアの関係は良好だったようで、このあたりはNASAの戦略がうまくいったところでしょう。

とはいえ、本書を読み進めていると、マーケティングが人々を動かしたというよりは時代に合っていたからこそうまくいったようにもみえます。アポロ計画の時代背景には、冷戦やベトナム戦争、人種や性差の問題など、さまざまな問題が影を落としていた時代で、明るい話題が乏しかったため、宇宙開発が脚光を浴びたという側面が大きいんじゃないかと。

そもそも、ケネディ大統領の宣言も、実際には冷戦を取り巻くアメリカの状況を語った後に最後に月へ送り込むことを述べたものでした。宣言が行われた1961年5月は、ピッグス湾事件の後でケネディ政権は危機的状況にあり、さらにソ連がガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功した直後です。この逆境を盛り返すためのアピールの意味も大いにあったことがわかります。

そんな時代背景だったからこそアポロ計画に莫大な予算が注ぎ込まれたわけです。本書を読んでいると、NASA広報の努力ももちろん理解できますが、時代の流れにうまく乗ったことの方が重要だったように思えてきます。NASA自身、宇宙からの写真や映像の威力を理解していなかったことも再三書かれており、宇宙飛行士の作業の優先順位でも撮影は1番下の方だったからも、それほど先見の明があったようには感じません。といっても、TVの報道で生中継が当たり前だった時代ではないのだから当然かもしれませんけど。

当時NASAが行っていたマーケティングは、需要を生み出すものではなく、需要に応えるものだったのではないでしょうか。そういう意味では、需要を正しく理解した上で行動していたわけですから、非常に優秀だったのではないかと。とはいえ、本当に需要を正しく理解していたのか、自分たちのやりたいことと需要がたまたま一致していたのか、そこまではわかりません。NASAとメディアの関係は友好でも、アメリカ国民への世論調査ではアポロ11号の月面着陸直後以外はアポロ計画は肯定的にはなかったようですし。

タイトルの込められたもう1つのマーケティング

月への到達後、アポロ計画は徐々に熱気を失っていくわけで、成功を継続できなかったという意味ではマーケティングに失敗したといえます。人々の興味を惹き、宇宙開発を続ける意義を伝えられなかったわけですから。しかし、月へ人類を送り込むことの目的がアメリカの力の誇示であったとすればどうでしょう。大成功ですよね。

アメリカとソ連の宇宙開発競争において、明確なゴールラインが月への到達でした。なので、誰が見てもアメリカの完全勝利となったわけです。人類の偉大な一歩は、世界で最高の科学と技術はアメリカが有しているとアピールする絶好の機会になったでしょう。月をマーケティングすることで、アメリカという国家を世界に対してマーケティングしていたというわけです。

アポロ計画の後、宇宙開発の予算は次第に削られていきましたが、スペースシャトルや宇宙ステーションなどがあったので、世界最高峰の宇宙開発技術といえばアメリカのNASAというイメージは強いままです。目的が宇宙開発の進歩ではなく、アメリカの力の誇示であったとすれば、これ以上ない大成功でしょう。

NASAのマーケティングの失敗は、宇宙開発の必要性を提示できなかったことにあります。月で石ころを拾ってくるだけの仕事と揶揄されるくらいなわけですし。失敗の代償として、その後40年経っても誰も月へ行くことがなくなり、月ロケットの技術が失われてしまいました。技術レベルが上がっていても、月へ行く目的となると、また一から開発しなければならないことも多数あるでしょう。

とはいえ、火星へはキュリオシティのような無人探査機が行けるわけですから、やっぱり人類が自ら行く必要性を説くのは厳しそうです。コンピュータやロボット、通信技術が発展したからこそ、余計に人間が直接行く必要性が失われているように思えます。人々が気軽に宇宙旅行をする21世紀はまだまだ遠そうです。

では、NASAが人類を月へ送り込んだアポロ計画はアメリカ以外にとって無価値だったかといえば、そうではありません。アポロ8号のミッション中に撮影された「地球の出」は現在でももっとも影響力のある写真といわれています。地球が宇宙に浮かぶ小さな星であることを強く印象付けたことにより、思想や哲学に大きな影響をもたらしたためです。

「地球の出」だけでなく、人類が月へ到達した事実が人々に与えた影響は計り知れません。その気になれば月にだって行けるんだという自信を与えたのですから、そこには大きな価値があると思うのです。人類がいつの日か火星に到達するかどうかはわかりませんが、そのときは国際的、政治的に差し迫った状況があるからではなく、純粋に人類の好奇心や探求心からの冒険としてのマーケティングに成功してほしいものだと思う次第であります。

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