どうぶつたちの住む森で自由気ままなスローライフ。それがこのゲームのコンセプトだ。しかし、ファンシーな見た目とは裏腹に、散りばめられたリアリティのトゲが身を切り裂くのが本作の醍醐味なのだ。
どうぶつたちの住む森の村へ引越し、どうぶつたちと仲良く自由気ままにスローライフを謳歌する…『どうぶつの森』シリーズはそんなイメージを持たれている人も多いのではないだろうか。
たしかに、かわいらしい外見とやわらかいグラフィックとBGMは和やかな空気を感じるかもしれない。しかし、本作はただファンシーなだけの凡作などではない。随所に散りばめられたリアリティの存在が、人の心を突き刺すからこそ、多くの人を惹きつけているのだ。
借金に追われるスローライフに自由は存在するのか
『どうぶつの森』にはクリアというものがない。そこには、急いで攻略する必要なんかないじゃないか、というコンセプトが伺える。クリアという与えられた目標に向かって走らされるのではない。プレイヤーが思うまま好きに遊べばいいわけだ。
本作は森の村で生活をするゲームである。生活をする中で、自分の家を増築したり、家具をカスタマイズしたり、木や花を植えたり。家や村を自由にカスタマイズしていくことがゲームの目的になっていく。
というか、最初に家を買うとき、一方的にローンを組まされることになる。スタート時点で借金生活である。マイナスからのスタートなのである。自由気ままなスローライフを謳っておきながら、借金に追われる身になることから幕を開けるのだ。しかも借金相手がうさんくさいたぬき。
返済期限があるわけではないとはいえ、借金を抱えた状態によい気分を感じる人はいないだろう。借金を抱えておいて、自由気ままなスローライフなどあるはずもない。
プレイヤーは自由を手に入れるため、資金稼ぎに追われることになるのだ。
そして、そこへきて「カブ」の甘い誘惑である。借金をしているのに、少ないお金をカブに突っ込んで何をやっているのだろうか。身につまされるリアリティが、そこに存在しているのである。
南の島という金山でバカンスができるのか
借金とはいえ、家が手に入ったからには家具をそろえてカスタムを楽しみたい。しかし、何をやるのもタダではない。何をやるにもお金が必要になる。自分好みにカスタマイズしようとすれば、それだけ大量のお金が必要になってくるわけだ。
となると、資金を稼ぐ必要がでてくる。資金稼ぎの手段はいろいろ用意されているが、メインになるのは魚釣りと昆虫採集だ。とった魚や虫を売ることでお金を稼ぐシステムになっている。
『どうぶつの森』は本体の時計とゲーム内の時間が連動しており、季節や時間に合わせてとれる魚な虫が変化する。たとえば、昆虫は夏場に多く登場するが、冬場は少ない状態になる。季節や時間帯によって収益の期待値は変わってくる。こういった作りは、長くのんびり遊んでもらおうということなのかもしれない。
しかし、こういった季節の変化を覆す存在が「南の島」だ。常夏の島では、いつでも夏限定の獲物が手に入るのだ。しかも、高額なものが多い。
要するに「効率のいい狩場」である。高い獲物を狩り放題でガッポガッポである。24時間いつでも行くことができるのもうれしいところだ。狭い空間に獲物が入り乱れる様はまさに効率厨御用達といったところだろう。スローライフなど知ったことではない。むしろ自由を取り戻すためにゴールドラッシュに向かって走り続けるのだ。
こうして島と村の往復を繰り返していると、ふと素に戻ることがある。バカンスのはずが、いつもどおり釣竿を垂らしているのはなぜなのか。「南の島へきてまで、なぜ働いているのか」と。
南の島へやってきても、追いかけてくるのは借金という現実である。そしてその現実から逃れることはできないのだ。
村の住人にも襲い掛かる世知辛い現実
つらい思いを抱えているのは何もプレイヤーだけではない。村に住むどうぶつたちにも厳しい現実が与えられているのだ。
赤いジャケットを着ている彼は住宅展示場の案内員。商店街の中央で立ちんぼである。
現実の時間と連動している本作では、どの店にも営業時間が設定されている。ほとんどが夜になると閉店してしまうのだが、住宅展示場は24時間営業である。当然、案内員の彼も24時間立ちっぱなしである。寒空の下、深夜の誰もいない商店街の真ん中で立ち尽くす彼の姿に、哀愁を感じてしまうのはボクだけではないだろう。
実は彼、しずえさんの弟でもある。しずえさんといえば、村役場の職員だ。公務員である。姉は安定した職についているのに、弟は屋外で24時間立ちっぱという、過酷な労働環境に耐えているのである。
加えて、姉はかわいらしくて人当たりもよく、仕事もそつなくこなす優秀な人材でもある。こんな環境で弟は、親に何か言われているのだろうか、周囲の目はどうなのだろうか。そんなことを考えると、もう哀愁を通り越して泣けてくる。
ちなみに、不動産屋であるうさんくさいたぬきは夜8時で閉店する。これは商店街でもっとも早い閉店時間である。これが持てるものと持たざるものの格差である。
外からやってきた村長は村民と仲良くできるのか
本作からの変更点として、自分の家だけではなく、村長として村全体をカスタマイズできることだろう。橋の建設や噴水の設置など、公共事業として手がけることができるのだ。
もちろん、お金はかかる。しかし、公共事業は村民のものだ。何も村長が全額を負担することはない。公共事業として設置する施設は村民から寄付を募って資金に加えることができる。
あたたかく迎え入れてくれた村民たち、いつもフレンドリーに接してくれるどうぶつたちと協力して村を支えていくというわけだ。
しかし、現実はこのとおりである。あれほど仲良くしている住人たちも、金の話になると冷たいものなのだ。だがこれこそ、現実というものだろう。仲が良いこととお金の話は別である。
費やした時間は「葉っぱ」になる
家の増築は広さや部屋の数など、いろいろできそうだ。公共事業の種類も多く、村のカスタマイズもいろんなことができそうである。
しかし、どれも大量の資金が必要になる。そして、その資金を稼ぐ時間も膨大なものとなるだろう。自由気ままに生活していては稼げないような大金だろう。スローライフには金がかかるものなのだ。
だが思い出してみよう。このゲームにおける家具は、すべて葉っぱが化けたものである。もともと、家具を売っていたのがうさんくさいたぬきだったからなのだろう。家や村に資金を投入し、借金の返済を終えた後にできることは、部屋に葉っぱを飾ることなのだ。
たぬきに化かされた人々は、我に返った瞬間、手にした宝やご馳走が葉っぱであることに気付く。そこで物語は終わるのだ。どうぶつの森で手に入るものが葉っぱであるということは、やがてプレイヤーが現実へ帰っていくことを示しているのである。リアルを犠牲にして突っ込んだ時間は返ってこないというメッセージが込められているのだ。
この物語がたぬきに化かされた夢幻であるというのなら、せめてしずえさんと結ばれるエンドがあってほしかった。
さて、バカなことを書いてないで南の島でサメ釣ってきます。