『新サクラ大戦』をクリアしたのでレビューなど。 タイトルの示すとおり、キャラクターも開発陣も一新した「サクラ大戦」シリーズの完全新作となっています。かつて旋風を巻き起こした「太正桜に浪漫の嵐」が10数年ぶりに帰ってきたわけです。かくいうボクもあの頃は大神隊長として降魔と戦っていた身。 新生 「サクラ大戦」に期待せずにはいられません。果たして『新サクラ大戦』はどのような新生を遂げたのでしょうか。
受け継がれる伝統芸
アドベンチャーパートとバトルパートの2つからなるハイブリッドな作りは変わっていません。帝国華劇団の隊長として、平時は隊員のご機嫌をうかがいながらキャッキャウフフし、非常時には正義の部隊として悪に鉄槌を下す。 アドベンチャーパートにおける時間制限付きの選択肢も健在。出撃の前には花見の準備をさせるし、風呂場の前では身体が勝手に動きます。いつもの「サクラ大戦」ですね。やったぜ。
帝劇ってこんなに広かったんだ…
『新サクラ大戦』では、すべてアニメ調の3Dグラフィックになりました。3Dのキャラクターが演技をしながらしゃべり、3Dの帝国劇場内を走り回ることができます。帝劇ってこんな感じだったのかー!とちょっと感動。帝劇内は廊下も室内もやや広めに設計されているため、カメラワークにストレスがなく非常に快適。また、今回は帝劇を出て銀座の街も歩けるようになったので、より太正の世界を感じられるようにもなっています。いいですね。
よく動いてかわいい、けれども
3Dになったキャラクターもいい感じ。表情の変化はかなりいいんじゃないでしょうか。キャラクターの魅力を十分に引き出せているように思います。ただ、セリフごとに身体を動かすのがオーバーアクションだったり、集合して会話するシーンなどで座らずに突っ立っていたりするのは違和感アリ。かつてはゲーム的な表現としてなんとも思わなかった部分ですが、キレイなビジュアルになったことで表面化した問題だと思います。なんとも難儀なことですが、ビジュアルに見合ったアクションが必要になっているんじゃないかなーと。これは本作に限った問題ではないですけれども。
最注目キャラクターはやはり隊長
個性豊かな花組メンバーもいいですが、シリーズのファンならもっとも気になるのは隊長のキャラクターでしょう。あの大神一郎に代わるキャラクターが求められるわけですからね。ハードル高すぎです。そういう意味では新隊長を務める神山誠十郎は「サクラ大戦」らしいキャラクターでありながらも大神さんともまた違った人物像になっている印象。かなりよいのでは。熱血漢であると同時にちょっと変なヤツでもある(プレイヤーの選択次第だけど)ところは共通しているのですが、神山は最初から熱血漢ではないんですよね。序盤で熱血漢として目覚める過程を描いたことでうまく差別化できているんじゃないかなと。
今度の光武はギュンギュン動かせる
バトルパートはアクションになりました。霊子甲冑あらため霊子戦闘機をグリグリ動かして戦えます。ロボットアクションによくあるブーストゲージのような制限もなく、ダッシュし放題なので非常に快適。重めのヒットストップのかかる攻撃で大勢のザコ敵を薙ぎ払うのも爽快です。ゲージが溜まればカットイン付きのカッコイイ必殺技、条件が揃えば合体技で笑わせてくれる伝統も継承されています。動かす楽しさはかなり良好です。
あなた超強い設定じゃありませんでしたっけ?
概ね好感触なバトルパートですが、問題は難易度。あまりにも低すぎます。ストーリーがメインのゲームだから低めに設定されているのは必ずしも悪いことではないと思うのですが、それにしてもヌルすぎです。おかげでストーリーの展開と実際のバトルの内容が乖離してしまっています。これこそが問題です。
強い強いと評判だったライバルたちがちょっと硬いだけのザコ敵になり下がり、隊員たちがまったく歯が立たないと畏れられるボス敵をあっけなく倒せてしまう。あまりに弱いのでボコボコにしているとなんだか申し訳ない気分になるほど。神山隊長は「限界を超えろ!」と激励してくれましたが、全編を通じて体力が8割を切るようなことはないため、性能の限界を引き出す機会はありませんでした。 うーん、霊子戦闘機を動かす感触は悪くないんだけどなぁ。もったいない。
全員揃ってこその花組!と言われますけれども
あと「全員揃ってこその花組」みたいなことを何度も言われるんですけれども、バトルパートで全員揃って戦うことってないんですよね。大抵の戦闘は2機編成、一部の特殊な戦闘では3機での出撃となっています。だからストーリーの展開で「2手に分かれよう」という選択肢が出てきたとき、迷わず選んじゃったんですよ。もちろんハズレの選択肢です。2人じゃ厳しいだろうとかなんとか言われちゃうわけですが、いやいやいつも2機で戦ってんじゃんと思わずにはいられませんでした。とはいえ、確かに6機も同時に動き回ったら画面がうるさくて視認性に問題が出そうではあります。だけれども、「全員揃ってこそ」といいつつ揃うことができないのはストーリーと合致しないように感じます。ムズかしいですね。
帝国華劇団を再建せよ
さて、肝心のストーリーといえば、全体としてはそんなに悪くない印象なのですが、首を傾げてしまうような展開もままあり、何とも言い難い感じ。序盤の展開は、旧作から時間が経過し、どん底に落ちぶれた帝国華劇団の再起を図るため、負ければ解散という崖っぷちから「世界華劇団大戦」なる大会での優勝を目指す、といったもの。戦車のアニメの影響でも受けたのかな?と思わなくもない。ともあれ、早々に再起できてしまうため、ちょっと肩透かしを食らうかも。ストーリーの本筋は花組を軌道に乗せることではなく、新生・花組をかつての花組に負けないような組織にすることのようです。ただ客が呼べるだけでなく強いだけでもなく、世界中から認められる存在を目指す、というわけですね。いやぁハードルが高い。
「信頼」を描くためには…
中盤から後半にかけて描かれているのは新たな花組が”本物”の花組として成長を遂げていく物語。そのために隊員たちと信頼関係を築いていくストーリーはまさに「サクラ大戦」といったところ。『新サクラ大戦』では、信頼を描くためにプレイヤーにその反対である疑念を抱かせる展開がなかなか巧妙に仕組まれています。たとえば望月あざみのエピソードがそうです。忍者である彼女はスパイの疑いをかけられ、そんなわけはないとわかってはいるものの、爺さんから悲しい過去とか実は農夫とか言われてだんだん何が本当なのか怪しくなっていき、しまいにはあざみ本人まで自分を”本物”の忍者かと疑い始める始末。このあたりの展開はうまいなーと思います。
疑惑を抱かせる要素としては、夜叉の存在も見逃せません。発売前に公開されたときから「いったい何宮寺さくら君なんだ…」などと言われていましたが、フタを開けてみれば意外や意外、しっかり正体がわからない展開が作られていました。しょっぱなから天宮さくらが「どう見ても真宮寺さくらさんじゃないですか」とツッコむわけですが、神崎すみれからは「あんなのがさくらさんのはずがない」と真っ向から否定されてしまう。昔の仲間であるぶん、すみれの言い分に軍配が上がりそうなのですが、じゃあ本人でないなら誰なんだ?という疑問は残ります。その後も何度か怪しい行動を繰り返しますが、結局、仮面の外れるそのときまで正体はわかりません。ここもうまいなーと思います。ちなみに、夜叉役の横山智佐の怪演は必聴。狂気に満ちた笑い声とかマジで怖いです。
意図はわかるんですよ、意図は
こうした上手な展開もあるのですが、首を傾げてしまうような展開もちょいちょいあるのが残念なところ。特に印象深いのが第1話の展開。旧式の機体でボロボロになりながらも(実際にはほぼノーダメージですが)孤軍奮闘する天宮さくらのもとに駆けつけた上海華劇団の援軍が、なぜかさくら機に殴りかかってくるんですよ。意味がわからない。
いや、意図はわかるんですよ。さくらに「絶対に諦めない」と叫ばせたい意図は。だからといって敵地の真ん中で傷ついた味方機を一方的にボコボコに殴る意味はわかりません。あまつさえ「悪く思うな」と言いながらトドメまで刺そうとする始末。いや悪いでしょ、どう考えても。ヘイトを稼がせたいのかと思いきや、戦闘後は熱血漢然りといった態度でさわやかに去っていくし、もう頭上に「?」が出っ放しです。ちなみにこのシーン、さくらの態度に感銘を受けた神山隊長が真の花組隊長として覚醒するアツい場面のはずなんですよね…。不可解な展開すぎてさっぱり気持ちが乗らなかったですけども。最初のクライマックスがこれなのはさすがに厳しいと言わざるを得ません。どうしてこうなった。
それも意図はわかるんですよ、意図は
それから神崎すみれの存在。旧作のキャラクターで唯一登場している彼女の役どころは帝国劇場の支配人。彼女がこのポジションに収まっているのは納得感が高くて良いですね。しかし、その仕事ぶりには甚だ疑問が残ります。序盤、演劇の素人の集まりである花組メンバーがどうやったら上達するのか、という問題に対して、専門家に聞けばいいのでは、という選択肢があらわれます。なるほどすみれさんに聞けばいいのね、と思うじゃないですか普通。でもハズレなんですよ、この選択肢。専門家なんて雇う金がどこにあるのかと一蹴されてしまいます。え…? あの、すみれさんは…? いや、なんでもないです…ハイ。
わかるんですよ、意図は。すみれさんの手を借りてしまったらダメなんですよね。新生・花組は新生・花組の力で成長しなければならないのでしょう。旧・花組の手柄になるような展開にしては台無しなのはわかります。とはいえ、手を貸せない理由の描写がもうちょっとあってもよかったんじゃないかなと。
旧作と地続きであることへのジレンマ
それでもすみれさんの扱いはまだいいんですよ。存在していますから。極めつけは旧作キャラクターたちの扱いです。大神さんたちが出てきたら新キャラクターを食っちゃうから活躍させるわけにはいかないし、だからといって時代設定を変えるわけにもいかないし、死んだことにするわけにもいかないけど生きていたらこの事態に出てこないわけはないから出てこれる状態にあってもならない。というわけで非常に難儀な状態であることはわかります。
が、だからといって10年前に全員封印されちゃいましたー!は苦しい。さすがに苦しい。しかも、封印を解いたら一緒に封印されている世界を秒で滅ぼす超やべーヤツが出てくるから封印を解くわけにはいかない、なんて言われたら、なるほど封印を解いて新旧華劇団で協力して戦う激アツ展開ね!と思うじゃないですか。思うじゃないですか…。
あくまで新生・花組の物語だから旧作組を出張らせるわけにはいかないのは理解します。理解はしますが、だからといってこの設定はあんまりでは…。すみれさんは待ち続けるのも信頼の形みたいな態度でしたけれども、さすがに10年経っても帰ってこられないってのは助けに行った方がいいと思います。それに神山隊長は1人の犠牲すら絶対に許さない熱血漢じゃないですか。この状況を黙ってみている人じゃないでしょう? 秒で世界を滅ぼすやべー奴? ゲージ溜めて必殺技ぶっぱなせばイチコロっしょ。…ダメ?
新たなる帝国華劇団は過去の栄光を救えるか
最終的に、悪を打ち倒して輝かしい舞台とともに大団円を迎える新生・華劇団に対し、10年前の戦場に取り残されたままの旧・華劇団、という構図は、なんといいますか「サクラ大戦」というシリーズのおかれている現状と符合するように思えてなりません。完全に新規の『新サクラ大戦』として再誕を果たす一方、旧「サクラ大戦」シリーズは封印され、生きているか死んでいるかもわからない宙ぶらりんのまま。シュレーディンガーの花組です。現実では10年以上の月日が流れているわけですが、果たしてこの箱の封印を解く日は訪れるのでしょうか。