村づくりシミュレーションという、普段はあまりやらないタイプのゲームをやってます。それもこれもSteamサマーセールが悪い…いや、ありがとうゲイブ。はじめたばかりなので、おもしろさについてはまだ何ともいえませんが、1stプレイの様子を読めば、どんな感じのゲームなのかがわかるのではないかと。
すでに2014年2月の発売から1年以上が経っている『Banished』ですが、いまさらプレイしております。発売当時から好評の話は耳に入っていましたが、あまり遊ばないジャンルだったので手を出せずにいました。しかしサマーセールで売り出されていると、なんだか普段よりも輝いてみえるものです。まるで縁日のヤキソバのように。
そんなわけではじめた『Banished』の初プレイの様子をつらつらと書いていきます。ボクがプレイ前から知っている『Banished』は、中世的な世界観での村づくりシミュレーションで、リアルタイムなストラテジー感覚で人々を運用していくゲームである、というところです。簡単にいうと「超詳細な『アクトレイザー』」くらいの認識でした。
実際にプレイしてみると、前情報どおりではあったのですが、言うは易し、行うは難し。日本語化MOD導入からチュートリアルを終えて、意気揚々と本編に挑んだボクを待っていたのは、村社会の現実でした。
人々を働かせて家や施設をバンバン建てる
ゲーム開始時に3段階の難易度から選べるので、まずは最低のEasyから入ることにしました。最初から数件の家と納屋、ある程度の資材があるようなので、これを使って施設をいろいろと作っていきました。
何はなくともまずは食糧の確保だろう、ということで、釣り小屋や農地を作ってみます。チュートリアルでも最初にやったのは釣り小屋でしたから、最初はこれが有効なのだろうと推測。操作に慣れていないので、間違って2件も建ててしまいましたが、大きな問題ではないでしょう。たぶん。
食糧を確保しつつ、近所の森林を伐採しながら村を拡げていきます。新たな土地は牧場にしたり野草採りの小屋にしたり、とにもかくにも食糧の生産を続けます。そんなに食料が必要になるのかどうかはわかりませんが、飢え死になんてまっぴらごめんなので、とにかく食い物です。あと、川の向こうに土地が余っているので橋をかけてみました。
これだけ食べ物があれば安心だろう、と思っていたら、何やら雪印アイコンが表示されているではありませんか。住民たちは寒さに凍えているようです。ああ、着るものがないのか…。人が生きていくための必須条件である「衣・食・住」の最前列を失念しているとは一生の不覚。急いで仕立て屋を建設して対応します。ついでに、風邪をひかれては大変ですから、対岸に病院を建てておきました。
これで万全だろうと思いきや、今度は工具のアイコンが。住民たちが働くための道具が不足しているようです。道具がなければ生産性が落ちてしまうでしょうから、鍛冶屋を建てて道具を作らせます。道具を作るためには鉄が必要なので、対岸の山に鉱山も作っておきます。これだけ施設を建てようとすると、石材が不足するので、村はずれに採石場も作っておきます。
人口も少しづつ増加し、労働力も増えてきたので施設をガンガン建てていきます。市場に交易所、集合住宅に学校などなど、作れるものは全部作ってしまおうぜ!というノリであっちこっちに建設していきました。
充実する施設に拡大し続ける村。豊富な労働力で衣・食・住も潤沢。すべてが順調にみえました。そう、このときまでは。
少子高齢化という滅びの鐘
開始時には20人に満たなかった人口は40人近くにまで膨れ上がりました。しかし、ここで初の死者がでます。人はいずれ死を迎えます。これは誰にも避けられないことです。彼の仕事は別の人に引き継がれ、何事もなく村民の生活が続くようにみえました。
しかし、悲劇はここからはじまりました。初期からの住民が天に召されていく一方、天から授けられるはずの子供がいないのです。村の人口は「大人/学生/子供」という区分で表示されているのですが、気づけば大人ばっかりで、子供はさっぱりいません。
押し寄せる少子高齢化の波に打つ手もなく、ただただ減っていく人口を眺めているだけの日々。「ええい、子供を作るための施設はないのか!」と、操作パネルを探してもそんなものは見当たりません。村の外から人が流れてくることもないため、ここで子供が生まれなければ村は存続できません。現代の日本における少子高齢化とか、地方創世の現実とかいった言葉が頭をよぎりました。とてもつらい。
人が減っていくと労働力も減っていきます。それまでのように新しい施設を建てている余裕はなくなり、もう必要な物資の調達に明け暮れるしかありません。前半で稼いだ食料と木材はともかく、後半に不足がちだった鉄や燃料が深刻な状況になってしまいました。仕方がないので、農家や漁師を鉱山へ送り込みました。
しかし、人口の減少には歯止めが効かず、空き家も目立つようになってしまいました。炭鉱のみの廃村とか、まるでアッテムトのよう。40人近くいた住民は5人ほどになってしまい、滅亡のカウントダウンは止まりそうもありません。いっそエスタークでも掘り当ててくれればスッキリできそうなものですが、そういうゲームではありません。
「もう最初からやり直そうかな…」と諦めかけたのですが、自分の作り始めた村ですから、最後まで見届けてみようと覚悟を決めました。そして、どうせならあがけるだけあがいてみようとも考えました。そこから、まさかあんなことになるなんて。
人の子は幸福より生まれ出る
人口の減少により労働力が激減したため、もう贅沢はいってられません。鉱山の石炭や鉄を諦め、燃料の基本を薪に変更しました。木材の備蓄はあったので、薪のほうが生産ペースが早い感じ。食糧の備蓄は尽きかけていたので、農民や漁師にジョブチェンジさせます。燃料も食料も常に不足していましたが、それでもギリギリの低空飛行が続きます。
こうしているうちに気がついたことがあります。「1人の住人に1つの仕事」という考え方がそもそも違うのではないか?ということです。たとえば、春から秋にかけて野菜を作る農民は、冬場にやることがありません。なので、冬場は薪割りや猟師に転向させれば、1年を通して生産してくれることになります。なんだかブラックな気がしないでもないですが、どうやらそういうゲームなのではないかと。人口が減ったことで、住民たちに無駄なく仕事を与えていくことに気づけたわけです。
苦しい生活が続く中、滅びるのは時間の問題と思っていたのですが、ぽつぽつと子供の出産報告が増えてきます。どうしてこのタイミングで?と思ったのですが、画面をよーくみてみると幸福度のゲージが上昇しています。そういえば、人口が減る前、醸造所とか教会とか建てていたことを思い出しました。幸福度は人が死ぬときに減少するようですが、死ぬ人が減ってきたことで歯止めがかかったのかもしれません。といっても、子供が生まれることで上昇するようですから、上昇したから生まれたのかどうかは定かではありませんけれど。
ともあれ、人口は増え続け、初期の20人程度にまで復活。子供の数も増えたので、少ない人員を学校に配属して将来の労働力に賭けます。まだまだ空き家の目立つ状態ではありますが、在りし日の姿を求めて、村の復興は続くのです。
村は一晩にしてならず
そんなわけで、本当は「初回プレイは少子高齢化で滅びたー」ってのをやろうと思ったのですが、なんだかしぶとく生き延びております。人口が減っていく最中でも、子供や若者が死んでいたわけではなかったため、なんとか存続できている感じでしょうか。高齢者だけが残った場合は本当の詰みだったことでしょう。現実の少子高齢化の一端を垣間見て恐怖した次第であります。
まだまだ遊び始めたばかりなので『Banished』のおもしろさは何ともいえません。強いて言うならば、プレイをしていて気がついたら朝になっていた、ということくらいです。あー、いつの間にか朝になっていただけだからなー、おもしろいかどうかはわかんないかなー、もうちょっとやってみないとなー、わかんないかなー。
というわけで、ボクの村づくりは続くのです。
2015/6/23追記
続きを書きました。第2回ですが、最終回です。