アニメ【シンデレラガールズ】25話の考察と感想と アイドルを輝かせる魔法は無限の可能性

アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』第25話はついに最終回。これまでの総決算となるイベント「シンデレラの舞踏会」とその後のアイドルたちを通して、すべての答えが描かれるエピソードとなっています。プロデューサーと常務の確執、そしてアイドルたちを輝かせていた魔法とは。

前回、24話の考察と感想は以下よりどうぞ。

第25話のサブタイトルは「Cinderella Girls at the Ball.」、訳すなら「シンデレラガールズの舞踏会」。シンデレラではなく「シンデレラガールズ」になっているのがポイント。今回の舞台となる「シンデレラの舞踏会」が、常務の理想とするお姫様のようなシンデレラたちのステージではないことに加えて、もう1つの意味が込められていますが、それは最後に明かされることになります。

今回のポイントとなるのは、プロデューサー(以下、P)と美城常務との決着、そしてアイドルたちを輝かせていた魔法の正体。どちらも全編に渡って描かれてきた物語のコアです。

無限の可能性が「平行線」を超えていく

「シンデレラの舞踏会」は、もともとPがシンデレラプロジェクトの存続をかけて企画したものでしたが、フタを開けてみれば346プロ・オールスターの祭典になっています。346の看板である楓さんたちの「お願い!シンデレラ」ユニットで開幕するのは、まさに総力をあげてのイベントだということ。総決算のはじまりに相応しいキャスティングといえるでしょう。

アイドルマスターシンデレラガールズ 舞踏会の開演

「舞踏会」は単なるライブイベントではなく、複数のホールとステージで同時多発的にさまざまな催しが開かれるお祭りのような内容で、バラエティーに富んだアイドルを要する346プロならではのイベントといえます。めっちゃ楽しそう。実際、観客もかなりの盛り上がりをみせており、イベントの成果は明らか。しかし、それでもお気に召さないのが美城常務です。

常務は秋のライブと同じように特等席からのご観覧。ですが、今西部長に促されて会場へと足を運びます。上から見る景色だけではわからないことがあるのは、秋のライブで学習済みですからね。ここで会場をまわる常務は観客の反応を見ています。いくら盛り上がっていても、「かわいいよな~」なんていう反応は、常務の理想とは程遠いものです。なので、Pに一言いってやります。「気に食わない」と。

ここでの常務は、自らの理想に固執するあまり、可能性を見失っています。前回24話で、今西部長に「感情にとらわれて光を見失ってはいけない」と言われていたとおり。だから、Pは常務に向かって可能性を示してみせます。部署という枠に固執せず、新しい可能性を見つけられたのは、常務のおかげだ、と。ここでは凛とアーニャの例をあげていますが、実のところ、すべてを白紙に戻したことから部署の枠を超えた「舞踏会」が実現できているわけですから、常務にとっては皮肉なことです。自らの理想のための構造改革だったはずが、結果的にそんな理想を超えていってしまったのです。

常務は、Pとの理想の違いを「平行線」と表現していますが、このシーンでは両者ともに同じ出口へと向かっています。つまり、理想は違えども目指す方向は同じ。会社のためでも笑顔のためでも、アイドルたちを輝かせなければならないのは変わりません。そして、自分の理想に固執せず、新たな可能性を見つけたPが、常務を追い越していきます。常務の理想よりも一歩先へ、さらにアイドルたちはもっと先へ「平行線すらも超えていく」、アイドルたちの可能性は2人の理想をも越えていくのです。

ここで挿入される未央たちが走っているシーンは14話との対比。14話では3人が同じ場所を走っていましたが、ここではバラバラの場所を走っています。でも、方向は同じ。道は違えども、目指す場所は同じなのです。

平行線のくだりはメタな見方もできそう。常務やPの理想も1つの可能性に過ぎないのですが、ゲーム版のプレイヤー1人1人にそれぞれ違った可能性が与えられていることでもあります。同じアイドルでも幾多のプレイヤーのもとではまったく違った活動をすることになるわけで、それはすなわち無限の可能性です。その過程で、キャラクターが独り歩きをはじめ、制作サイドが思いもよらない方向へと走り出すことがあるのも、可能性の1つに含まれているのかもしれません。とすれば、このアニメの内容ですら可能性の1つに過ぎないのでしょう。

新しい可能性に挑戦し、冒険することがキラキラと輝くために必要であることは、これまでに何度も描かれてきました。そしてその可能性は1人1人違う。つまり、それこそが個性というべきものです。当初から掲げていた個性を伸ばす方針が、本当の意味で開花した結果の大歓声。「気に食わない」と言いにきたのに、アナタのおかげで大事なことに気づけてうまくいきました!なんて返されたんじゃ、こんな顔にもなります。

この後、常務は客席からステージを見ています。「城を出て、星を見上げるのも悪くない」なんてポエムを飛ばしていますが、要するに、会社も仕事も関係なしに1人のファンとしてステージを楽しんだ、ということです。表情はいつもどおりですけど、拍手しているので間違いなく楽しんでます。結果的に今西部長の「楽しんでみたら」に従う形にもなっていて、やっぱりあの部長ってタヌキおやじでは…。ともあれ、考えてみれば「アイドルマスター」におけるプロデューサーは、担当アイドルの1人目のファンとしてスタートするのが伝統ですから、常務もここで1人のファンになれたので、ようやくスタートラインに立てた、ということなのかもしれません。

「舞踏会」という通過点

終わりまでみればわかることですが、今回の「舞踏会」はシンデレラプロジェクトにとって最後のライブです。もともとは部署の存続のために企画したイベントだったはずが、その過程で部署という枠を超えた可能性を見出せたため、さらに大きく羽ばたくべく、ここで一つの区切りをつけることになったのでしょう。解散するとわかった上でメンバーたちがライブに望んだという視点でみると、また違った情景が見えてきます。

まず、開演直後の楽屋。夏フェスのときは笑っている子もいれば緊張している子もいましたが、今回は全員が期待に胸を膨らませている表情です。浮足立つこともなく、地に足がついた印象で、成長が描かれているのですが、これで最後だというのに全員が嬉しそうなのは、彼女たちはすでにそれぞれの道を歩み始めていて、部署が解体しても、築き上げた絆は失われないと知っているからです。

にしても、未央の「やっとニュージェネで出られる」はちょっと意外。クリスマスライブは卯月のソロのみだったの…? 1曲で終わるわけはないから、描写はないけどあの後3人で歌ったものだと。

※2015/10/21 ちょっとツッコミが入ったので追記。
確かに「(単独ライブではなく)やっとニュージェネで(合同フェスに)出られる」とすれば納得かも。「出られる」であって「歌える」ではないですものね。

次に、出番の前のPの言葉。今西部長から「何か一言」と促され、神妙な面持ちで「今日の舞踏会は…」と言いかけますが、言葉を呑み込んで柔らかい表情になり、「笑顔で楽しんでください」と秋のライブと同じ、いつもどおりの言葉をかけます。Pとアイドルたちの信頼があるからこそ、短い言葉でも問題ないことの描写でもありますが、部長が「それだけかね?」と驚いたのは、Pの言葉が短かったからではありません。これで最後なのに、それらしい言葉を出さなかったから驚いていたのです。でも、彼女たちにとってはここがゴールではなく、通過点の1つにすぎないため、いつもどおりの言葉でいいわけです。

そして、全員で円陣を組んで「GOIN’!!!」の合唱。楓さんのダジャレもあって夏フェスを彷彿とさせるシーンになっています。ここはそれだけではなく、歌詞が意味をもっています。

GOIN’GOIN’ 止まらない
GOIN’GOIN’ 止まれないから
さあ 同じ夢 奏でよう
Don’t stop music!

「GOIN’!!!」を披露した夏フェスも彼女たちにとってゴールではありませんでしたが、「舞踏会」もまだゴールではありません。これで解散となっても、まだまだ止まらないし、止まれない。キラキラ輝きたいという同じ夢に向かって、より大きな世界へ羽ばたき、走り続けるのです。

歌詞に大きな意味が込められているのは、今回の2つのライブシーンも同じです。どちらも新曲で、どちらも物語の総括となっています。

出会えた奇跡と歩んだ軌跡 『流れ星キセキ』

new generationsのライブシーンは、その前後を含めて過去のシーンとの対比が多くなっています。まず、加蓮と奈緒から「凛のこと、頼んだよ」と言われるのは、22話の秋ライブで未央が凛を送り出したシーンからのお返し。そして、美嘉と美穂、茜がやってくるのは3話でバックダンサーを務めたときの先輩たちで、ステージが「あったまってる」と伝えるのは、13話の夏フェスで雨後の冷え切ったステージを温めなおしたnew generationsへのプレゼント。美穂の手を握る卯月は、3話で掛け声を教えてくれた先輩で、今では一緒にユニットを組む仲間へのお返し。

エレベータで舞台へ飛び出していく3人は、第3話のバックダンサーのときと同じカットで進行しますが、その表情は自信と期待に満ちあふれていて別人のよう。そして降り立った舞台は他の誰でもない、自分たちのステージ。あのとき憧れていたキラキラしたステージに、ようやく自分たちの足でたどり着いた瞬間です。

『流れ星キセキ』の「キセキ」はダブルミーニングになっていて、1つは仲間たちと出会えた”奇跡”、もう1つは一緒に歩んだ”軌跡”。new generationsのこれまでとこれからが歌われていて、まさに総括。「何になりたいのとか 何ができるんだなんて わからないよ だけどキラキラしたい」は前回の24話で描かれていたこと。文章カットでは前回の「信じよう」「キラキラできるって」から、「何を願おう?」「形のないものを」「光を信じる私を」につなげられています。歌や踊り、演技など、形のあるものに限られることなく、キラキラできるのであれば何だってかまわない。それこそが無限の可能性。

オープニングと同じ、白いワンピースのカットの中で、ついに卯月の手に星が握られることに。また、3人が揃ったカットでは、3人を囲む星の色と数がシンデレラプロジェクトのメンバーとピッタリ一致しています。前回、卯月が救われたように、3人だけではないのです。そして「3つ揃って流星になっていつまでもずっと」で、彼女たちの未来が歌われています。

ちなみに、衣装は『デレステ』のSSRのもの。「SSRを3人も編成できるなんて最強だな…」と思いつつ、長押しアイコンが降ってくるのが見えるようなライブシーンでした。

「魔法」はここにある 『M@GIC』

続けて全体曲の『M@GIC』は、冒頭の「魔法って何だろう?」に対する答えとも受け取れます。「本当の魔法は胸の真ん中 光っている」というのはつまり、魔法使いといった他者にかけてもらうものではなく、自分の中にあるのだと歌われているのです。「絆が宝」とあわせて、これまで何度も繰り返し描かれてきたことです。でも、今回はもう少し続きがあります。

「最高の味方がいるもん」で、サイリウムの揺れる客席が映し出され、「ありがとう 今、本当の魔法を伝えるために歌うから」で、サイリウムに照らされたアイドルたちへ繋がり、「ここで巡り合えた」「ずっと大好きな君に」「君と共に」をファンと一緒に歌い上げます。絆の力で支え合っていたのは仲間たちだけではなく、ファンの力があってこそ。だからここで魔法を使うのです。ファンと共に。一緒に階段を上るために。

ここで身に着けている衣装はオープニングのものと同じですが、1stシーズンOPで着ていたお姫様のような衣装に比べると、どちらかというと王子様のような印象でした。それもそのはずで、彼女たちは誰かに手を引かれてお城への階段を上っているわけではなく、むしろ誰かの手を引く側にまわっているからです。シンデレラたちが王子の衣装を着て魔法を歌い上げる……最強か。

例によってここのダンスシーンも全員の動きをピッタリカッチリ合わせるのではなく、ややズラすことでナマモノっぽさを出しているのですが、今回はそれだけではなく、動きのつけ方で個性が演出されています。

たとえば、前川と李衣菜が並んだカットでは、ネコっぽいアクションを取り入れている前川と大きめの動きでビシッとキメている李衣菜でかなりの差があるのですが、生き生きとした躍動感があって19話でのチグハグなダンスとは大違い。他にもサビで全員がザーッと流れるシーンでは杏だけカメラ目線でウインクしていたり、いろいろと細かいです。

シンデレラガールズの舞踏会

ここからはエピローグ。冬の「舞踏会」から再び春になっているため、3ヶ月ほど経過しているようです。第1話と同じカットで情景が描かれていますが、346プロの新たな看板が出ています。美城常務が来てからはなくなっていた社訓のポスターが、3色のカラーを付けてパワーアップ。常務の方針が変わった証拠です。

Pの個性を伸ばす方針は、もともと346の社訓に近いものでした。「従来のアイドル像にとらわれない多角的エンターテイメントを追求」する「新しいアイドルのカタチ」を提示していたので、1周まわって元に戻ったようなものかもしれません。とはいえ、部署の枠を超えた結果、どうなるかがわかったおかげで、さらに進化していることは間違いないでしょう。

かつてのプロジェクトルームからは全員が巣立っていき、ホワイトボードの寄せ書きが残されるのみ。Pは新たな企画としてシンデレラプロジェクトの2期生を担当し、1期生はそれぞれの活動を続けているという状況です。巣立っていったのがどの時期かは明示されていませんが、冒険の成果を楽しみにしている今西部長の言葉からすれば、春の時点でそれなりの期間が経過しているはず。なので、やはり「舞踏会」の直後だったのでしょう。

ほとんどのメンバーが「離れていても心は1つ」的な絆の力を胸に、新たな冒険に出ていることが描かれています。夏のライブで倒れていた美波が秋のライブで倒れていた文香とレッスンしていたり、智絵里が幸子を超えるほど前向きになっていたり、城ヶ崎姉妹がアダルティーな舞台でも自分のカラーを出した撮影をしていたり、前川たちが出演している番組がマッスルキャッスルに戻っていたり(18話では常務の方針でブレインキャッスルに戻っていた)、成長も変化も感慨深いものばかり。集合写真は夏フェスと同じようなものに見えますが、よくよく見ると全員の手が繋がれています。

ちひろがPに届けていた資料は春のフェスのもので、常務あらため専務が「届けてくれたか?」と聞いているので、専務発の企画のようです。タイトルは「The Story of Cinderella Girls」となっており、彼女が語っていたような、物語の目標を示す企画になっているのでしょう。そして、普通の女の子から憧れられるお姫様に相応しい者として選ばれたのは、シンデレラプロジェクトのメンバー。ついに、彼女たちが346プロのトップスターとして看板アイドルになるときがやってきたのです。これが「Cinderella Girls at the Ball.」、「シンデレラガールズの舞踏会」なのです。

ちなみに、専務のデスクに置かれている花は、アジサイとユリオプスデージー。白いアジサイの花言葉は「寛容」、ユリオプスデージーは「円満な関係」です。最後までデレた態度は見せてくれませんでしたが、成果主義者として成果はキッチリ評価してくれるし、才能ある者から手法を学ぶことも忘れないので、なんだかんだでうまくやっていけそうです。

本作の結びとして「魔法は本当にあったのかな?」への答えを「わからない」としています。さっき「ここにある」って歌ってたじゃん!と思わなくもないのですが、彼女たちの答えは「わからない」です。全編を通して、魔法と呼べそうなものはいくつもありました。煌びやかなステージも、キラキラした笑顔も、仲間との絆も、どれもが魔法のようなものでしたが、可能性という答えにたどり着き、確かなチカラとして昇華できた彼女たちにとっては、どれも未知の力とは呼べないのかもしれません。とはいえ、可能性の先に、まだまだ未知の領域が拡がっているわけですから「まだわからない」のでしょう。

最後に、止まっていたエントランスの時計が12時を過ぎて動き出すのは、魔法の時間を過ぎても彼女たちがアイドルとして歩み出した証拠。これまで散々時計の針が進む演出が使われてきましたが、よくよく考えてみると、エントランスの時計って最初から(第2話で卯月たちがやってきたときから)ずっと12時なのですよね。そう考えてみると、実は魔法の時間なんてものは最初からなくて、ずっと自分たちの足で歩んでいたと言えるのかも。最後のページに置かれた何も書かれていない星は、まさに無限の可能性。集合写真はそれを支える仲間との絆。

魔法の時間は終わらない

そんなわけで『シンデレラガールズ』は完結。「アイドルマスター」における「アイドル」って何だろう?、という根源的な問いに対する答えが描かれていたように思います。尖った個性をもつキャラクターをバンバン投入する『シンデレラガールズ』において、常務の考える「歌やダンスでみんなの憧れとなるスター性を備えた存在」という一般的なアイドル像でアンチテーゼを投げかけ、その答えとして、もう一歩掘り下げた「キラキラ輝いている存在」というアイドル像を提示し、さらに「輝けるなら手段は問わない」という自由な個性を肯定する新たなアイドル像を作り上げました。むしろ、その可能性こそが彼女たちを輝かせるのだと。

そして、アイドルたちを輝かせている無限の可能性の1つには、1人のプロデューサーとしてアイドルたちと共に歩むすべてのプレイヤーが含まれています。同じアイドルであっても、プレイヤーごとにまったく違ったプロデュースを受けるのは、まさに無限の可能性です。歌わせてもいいし踊らせてもいい。アナタの手で、彼女たちをキラキラと輝かせてあげましょう。そのガシャにはきっと無限の可能性が詰まっているはず!

http://www.mbga.jp/_game_intro?game_id=12008305
http://cinderella.idolmaster.jp/sl-stage/

最後に、総括としての考察を書きました。よろしければどうぞ。

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