Steamのサマーセールで買った『Banished』をプレイ中です。右も左もわからぬ初プレイで、あやうく村民が全滅しかけたものの、ギリギリのところで堪え忍んでからの復興中であります。このままV字回復となるか、果たして。
村づくりシミュレーション『Banished』の初プレイをつらつらと書いている「はじめての『Banished』」、前回はこちらでどうぞ。
順調に施設を建てて村の拡大を図っていたのところ、少子高齢化の波に押されて村民が5人ほどになってしまう大ピンチに陥ったのですが、生き残った若者たちの力により、なんとか復興の兆しがみえてきました。人口も激減前の状態にまで復活してきました。今度は子供の数も多く、若者と高齢者のバランスも問題なし。
しかし、人口が30人を越えたあたりで停滞をはじめます。おかしい、何かが足りないのだろうか?と感じたボクは、それまであまり建設しなかった施設に目をやります。それが家。普通の住居を増やしていなかったので、試しに数件建ててみました。
すると、停滞していた人口が増え始めます。これか!と確かな手応えを掴んだボクは、モリモリと家を建てていきます。マス目のように道路をひいて、みっしりと住居を詰め込んで巨大な住宅地を建設。まるで『アクトレイザー』のような四角い区画整理にうっとり。神になったつもりなのであろうか。なんてバカなことを考えていたら竜巻に襲われたりもしましたが、幸運にも郊外だったので大きな被害もなし。やはり神、いわゆるゴッド。
住宅地の建設により、人口は急激に増加していきます。まさにベビーブームの到来。学校も増えた学生で満杯になりそうだったので、2件目を建てておきます。早めの対応、ナイス自分。増えた村民は、これまで手が回らなかった採石場や鉱山に回していきます。こうして資材が増えれば、よりよい施設を建てて、さらに村を拡大していけるはず…そう思っていました。未来は、まぶしく輝いているようにしか、思えなかったのです。
人を生かすのは人である
当たり前のことですが、人の数が増えると、資材の消費も増えます。食料も燃料も、恐ろしい速度でなくなっていくのです。もちろん、人が増えた分だけ労働力も増えているわけですから、生産性も向上しているはず。消費速度に負けないように生産していく必要があるのです。
まず、食料を確保するために農地を拡大しました。春から秋にかけて労働力を割り当て、冬は別の仕事に就ける方針は変わらず、オールシーズンをノンストップで働き続けてもらいます。なかなかブラックな感じがしないでもないのですが、生きるためには仕方のないこと。
それから燃料の確保のために、木こりと薪割りを増やします。鉱山からとれる石炭は量に不安があるし、冬場以外は農地を耕してもらわなければならなず、1年を通して鉱山で働いてもらうわけにもいきません。なので、燃料の基本を薪としました。
こうして、食料と燃料を確保するのに手一杯となってしまいましたが、村は拡大を続け、人口も増え続けていました。しかし、こんな付け焼き刃の対応では長くは持ちませんでした。
ここでボクが犯したミスの1つが、食料を農作物に頼ったこと。農作物は食料としては優秀にみえますが、収穫の季節をむかえるまで、つまり、春から秋までは一切の食料が見込めません。翌年の1年間をしのげるだけの収穫量があれば問題ないのですが、残念ながら足りていませんでした。何せ人口は増え続けているのです。今年10人で収穫した農作物で、来年の15人を養わなければならないのですから、生産性の向上は必須です。
ここでさらに、ボクの犯したもう1つのミスが表面化します。燃料の基本を薪として、木こりと薪割りを増やしていたのですが、反面、鉱山はほぼ無人となっていました。石炭はともかく、鉄もまったく入手できていない状態になっていたのです。鉄がなければ道具が作れず、道具がなくなれば労働者の生産性がガタ落ちになってしまいます。そして、道具がないから鉄の収集もままならないという最悪のスパイラルに陥っていくのです。
増え続ける人口に対して、減り続ける食料と燃料。低下した生産性では、100人近くに膨れ上がった村民をまかなうことはできなくなっていきました。物資は底をつき、ついには餓死する人が出てきてしまいます。大飢饉の到来です。
生産性の低下による負のスパイラル
食料が底をつき、大人も子供もバタバタと倒れていきます。『Call of Duty』でAC-130を呼ばれてもこんなにキルログは流れません。そのくらい高速で村民の餓死がアナウンスされていきました。人を殺すのは戦争でも鉛弾でもなく、空腹なのです。あんなに広かった墓地が一気に埋まっていく様は、この世の終わり。終わりの始まりの鐘が鳴り響いた瞬間でもありました。
収穫の時期を待たなければならない農作物には、もう頼っていられません。オールシーズン食料を供給できる釣り小屋や野草採りを増やして労働力を割り当てていきました。鉱山などに人員は避けません。すべての人を、目の前の食料確保に向けます。
しかし、それだけではまったく足りません。道具を持たない人々の生産性では、子供たちを食べさせていけなくなっていたのです。ボクは断腸の思いで学校を停止し、学生たちを新たな労働力として転用しました。空腹のまま、道具も渡されずに雇用される学徒動員…弾だけ渡されて戦場に突き出されるソビエト兵とどっちがマシなのでしょうか。あの輝かしい時代に建てられた2件目の学校は、誰も入らないまま廃校となりました。
すべての労働力を食料と燃料の確保に向けましたが、まったく足りません。道具もなく、空腹の状態で、学校で教育も受けていない人々の生産性など、期待できるはずもありません。しかし、生産性を高めるに必要な道具と飯と教育に割ける人員もないのです。なんという負のスパイラル。
こうして、飢え死にしていく人々をただただ眺めるだけの時間が続きました。下がるところまで下がった生産性が人口の減少に追い付くまで、指を加えてみていることしか、ボクにはできませんでした。
滅亡に向かって突き進む4人
村民の死亡報告が途切れた頃には、村民は4人まで減っていました。たったの4人…1つの家族ほどの人数です。前回も大幅に減ってしまったところから復興したわけですが、残念ながら今回はそうもいきそうにありません。なぜなら、生き残った人々に、子供も若者もいなかったからです。
たった4人の中高年が残っただけの村に、未来はありません。もう新たな命は生まれないので、あとは滅びを待つだけです。ここまで減ってしまえば、食料や燃料の警告を聞くこともありません。あとは彼らが天寿を全うするだけとなってしまいました。畑を耕しても、食べる者はもういないのです。
かつては100人近くにまで拡大した村で、たった4人で暮らす気分は、どのようなものなのでしょうか。残された4人も、1人、また1人と天に召されていき、最後の1人となった彼の気持ちは、いかようなものだったのでしょうか。こうなったのもすべてボクの責任ですから、画面から目をそらすわけにはいきません。胸が張り裂けそうな思いで、最後の1人の人生を、最期まで見取りました。とてもつらい。つらいけど、心に焼き付けておかねばなりません。
…などと感動的に〆ようと考えていたのですが、最後の4人になってからが意外と長かった。もう完全に”詰み”なのですが、餓えも凍死も病気もないとそうそう死にません。とはいえ、今回の反省点を次のプレイへの糧とすべく「意外としぶといなーこの人たち」なんて思いながら画面を眺めておりました。だって、リアルで2時間以上もかかるんだもの…。クリアもゲームオーバーもないゲームなので、詰み状態になったら即やり直しでよさそうです。
滅亡から掴んだ『Banished』のメカニズム
というわけで、2回目にして最終回となってしまった「はじめての『Banished』」ですが、初回にしては上出来なのではないかなと思います。どういうゲームなのかは理解できましたし、次回への反省点もみえてきたように感じます。
『Banished』というゲームの概要は、以下の3すくみっぽい構造なのだと思います。
・人が生きていくには資材が必要
・資材を生産するには施設が必要
・施設を増やすには人が必要
人材と施設と資材のサイクルを上手に回して、バランスよく拡大していくのが本作のキモなのでしょう。「先に資材を貯蓄してから増やせばいいのでは?」と思われるかもしれませんが、そうすると少子高齢化になって詰むのも、本作の特徴ですね。村の規模に合わせて生産を確保していくのが攻略のカギとなるのでしょう。反対に、このサイクルのバランスを崩してしまうと、一気に崩壊のピンチに陥るという綱渡り感も、本作の魅力といえるかもしれませんね。
そんなわけで、初回プレイの村が滅亡するまで100年弱だったのですが、プレイ時間にして10時間以上…、なんですかこの時間泥棒は。評判に聞いたとおり、気がついたら朝になっているレベルの時間泥棒っぷりに脱帽です。「超精細な『アクトレイザー』」という印象はプレイ後も変わりませんが、時間のもっていかれっぷりは何十倍も上なので、みなさんもプレイ時間には注意しましょう。(チュンチュン)